20211028

退勤後、「彗星密室」をみにいった。主に本を紹介するという展覧会で、選者による30冊の本が展示室に並べられていた。これらは、「自分の信念や指向、方法、内面を少なからず形作っている、あるいはそれをよくあらわす本(したがって、あまり薦めてこなかった、薦めづらい本)」を紹介してほしいという依頼をそれぞれ行ったという。そのためか、本には選者による書評がつけられており、鑑賞者は選ばれた本とそれに挟まった栞のような評文を読むという事になっている。靴を脱いでゆったり読むことができるスペースになっていた。


書評の内容には、整えられた文や選者の個人的な内容とないまぜになった文があった。私は整えられた文よりも日記のように綴られた文の方が面白く読めた。博論を提出する前にギャラリーでアルバイトしながら、せめてでもコンビニバイトに就きたくないという評が印象に残っている。その人はシモーヌ・ヴェイユの本を選んでいた。


この展示と比較しながら私は頭の中で体感していた。それは、最近行った知り合いの本を紹介する展示だ。その展示では、私も本を紹介した。紹介された依頼主が文書を書くという内容となっている。それも栞が入っており、それを読み、手に取るというものとなっている。栞を読んで思ったのは、やはり、こういうのはスマートに語ろうとしないで、内面の吐露がないまぜになっている文の方が気になる。


少なくとも、そういった日記を書いている私はそう思ってしまった。何故か今日は胃がもたれている。