20211102

昨日、高校の頃について書いていたからか、仕事をしながら高校の頃にいた教員を思い出してしまった。大学受験のときに論文指導してくれた国語の教員。その人がよくカルチャーセンターが嫌いだと言っていた。その人曰く、何か一つを極めている人に失礼だという。その人は弓道を習っていたためかそういった所に習いに来る人に違和感を感じていたという。趣味という話に近い。高校の頃はその先生の話について頷いていたが、今考えると趣味が何故、あくまで趣味だから、と言えてしまうのかについて考えてしまう。

以前、院生の頃に研究室が行っていたトークショーでおじさんが曲を作っており、それを披露することができないと話して作家に質問していた。元教授は作ればいい。と言っていた。多分、これもあくまで趣味の範疇ですから、という非定型で趣味という言葉を使っているからだ。

この、あくまで趣味という事を更にフラット化し、優劣付けずに誰でもと門戸を開いて運用しているのがカルチャーセンターならどうなのだろう。あくまで趣味というのを肯定しているようなカリキュラムであれば、初心者向けと銘打ったものであれば話は異なるが、そうでなければどうなのかと考えてしまった。無論、あくまで趣味という言葉が非定型として使われないために柳宗悦は庶民の造形性を再評価したのではないのか。少し、唐突に柳の名前を出してしまった。この庶民の趣味ですからを肯定するにはどうしたら良いのかと半期の面談を終えて考えてしまう。仕事の姿勢が悪いと言われながら。非常にまずいと考えている。まずは対人関係からと思っている。まずい。コミュ力