20211105

結局、書きあぐねている内に翌日になってしまった。はじめに投稿したときにも書いたが、私は中学と高校に日記のようなものを教育の一環として書かされていた。それを「学び」と称するのも気味の悪い響きであるが、確かにそういったことが学校の中で行われていたのは事実である。高校の先輩で毎日書いて提出する義務に違和感を感じ、一週間のものを全てまとめて書いて提出してもいいでしょうか。と話た人もいる。結局、その人はそれで通った。そこからそういうものを書くことに惰性が出てきた記憶がある。

けれども、多分、昨日の日記を書いている今日の私は今週、例の事件でバタバタしていたからなのかもしれないと思いあぐねている。それは、この前、酔いながら書いてしまった話とも近い。(ここでお詫びした方がいい気がしてきた。けれどお詫びなのか。)

因みに今は素面で炬燵に篭りながら書いている。あの事件について考えたときにすぐさま秋葉原の事件を思い出したりしていた。その事件について学部の頃に小泉明朗の作品を内田樹が書いた事件についての分析を引きながら書いた。その断片的な分析と断片的な記憶を辿ってそれがこの文章に集積していくことは、それらについて「他人事ではない」という使命感に駆られてのことなのかもしれないが果たしてそれでいいのだろうか。

案外、そういった物事について分かりきった口調で書いてしまったりしてしまう。それでいいのかいつもつまずいては書くのを諦めたり、発表したらそれで周りが見えない人となってしまったりするため、個人的なことを「ひらく」ことに躊躇する。そもそも、日記を公開しているという所は、何らかのプレゼンテーションが働いている訳で、「こう見てほしい」や「こうみられたい」が無意識にせよ誰にでも何らかの外部を内包したまま書いている。それは、「わたしが」という事なのでもあるが、他の人はどう思って書き始めたのか知りたい。個別具体的な話を聞きたいという自意識に今かられている。

あのツイートの後にラインでやり取りしたり、「やはり変な人なんだな」と開き直ったり、情緒不安定な気持ちになったりしたけれど。平静を装うつもりはない。どんどんいこう。けれど、そこに人がいて、その人がどう思うのか知っていけているのか常に気にしないと生きていけない。いや、もっと知りたい。そんな気が昨日はしていた。

そんなとき、大学院の頃、最後に教授から『心をつなげる』という本を渡されたときのことを思い出している。まだ全てを読み切っていないが、これまでの会話、やり取りの仕方から一旦、離れてみるという話であった気がする。改めて読んだら分かる所もあるのかもしれない。

結構、話し過ぎてしまった。話さなくてもいいことまで話してしまったというときがあるため。そういう話の仕方について知ってみようかと思ったりした。

退勤後、外に出て寒い。そう思い、この前、近くの業務スーパーで買った豆腐と一昨日、ひとり焼き肉で使った豚肉を切って麻婆豆腐を作って食べた。生姜が効いて、身体が熱い。ハイボールを飲んだ。ハイボールがやけに沁みる中、zoomで知り合いになる前の人と会話した。