20211113

朝起きて、昨日つくったシチューとトーストを食べた。シチューの肉を鶏肉ではなく、家の冷凍庫に眠らせたソーセージにすればもう少し違ったと思った。

ラインを開いたら、「今日空いてますか?」と連絡が来ている。この前、飲み屋で声をかけられた男性からだった。時間にもよりますけれど。という曖昧な返信をした。そしたら、何時から何時まで空いてますか?と来ているため、これは、行かねばならぬやつかと思った。この前は直前でリスケをしてしまったことも重なる。どうやらその人は下高井戸の映画館で映画をみるスケジュールだけ立っているという。私はというものの。実家に行ったり美術館に行ったりといったマルチなタスクを抱えていた。特に人に会う予定もなかったためか、それに合わせることにしてみた。

下北沢に自転車を置き、美術館まで向かう。

自転車に置いた後、通ったところでこの前、バンドのtetoと2との対バンを聞きに行ったライブハウスがあった。院生の頃だったはず。そのときも、予約して厳しかったものの、並んでいた人が「友達がリスケしたから割引で券をあげる」といってもらったチケットで入った。 それを思い出しながら、道すがらに2を聞いて盛り上がった。2のボーカル、古舘祐太郎は、報道ステーションのアナウンサーでお馴染みの古舘伊知郎の息子だ。そのため、この前聞いた対バンのタイトルも「恋とジャーナル」だった。Tetoのボーカルの人は、どうやら祐太郎の年上で、そのとき、2世は羨ましいと古舘祐太郎が登場するときに話していた。2世。ひっかかるところがある。これから向かう美術館の冠を掲げている画家も2世だった。

 

向ヶ丘遊園に着く。駅から歩いたところに美術館はある。岡本太郎の名前が道すがらに見える。そこに向かう。この作家もそういえば、漫画家、岡本一平と小説家、岡本かの子の2世だったと思いながら2の曲を聴きながら森の中を抜けた。

美術館では常設展と企画展が開催されている。常設展では、座ることを拒絶する椅子が置いてある。抽象化された顔の形の上に座るというもので凹凸が身体のツボにはまったらマッサージチェアになるのかもしれないと密かに楽しんでいた。いろんな角度で座ろうと試みる。身体を様々な角度で座り、その身体の器官と彫刻がハマるか確かめる。そしたら、体をモジモジさせる変な人にみられそうで怖くなる。別の展示室に移動する。 土曜日の午前中。従業員の出入りが多い。建物の管理人。エデュケーター。学芸員。監視員。鑑賞者。いろんな人が展示室を徘徊している。そんなことを思いながら企画展示室にたどり着く。

1950年代の東京に立ち上げられた「国際デザインコミッティー」についての展覧会が行われていた。戦後、高度経済成長へと向かう前に家具や道具のデザインを国際的な基準として捉え返すという組織となっており、建築家やデザイナー、評論家がメンバーの中心を占める。彼ら/彼女らの活動を振り返ると共に、現在も続いているこの組織について再検討するというものであった。

所々に展示の章立てがカッティングシートで貼られ、文字が柔らかい。そして、メンバーの人々の言葉が壁面に展示されている。 柳宗理の「いいものは直観で分かるものなんだ。」という一節は、父親の柳宗悦が度々唱えた「直観」という言葉と重なって見えてきてしまう。これも2世が抱えている問題。

展示の後半ではデザインコミッティーについて岡本太郎が「それがどうしてグッドであり、わざわざそういわなければならないのか。」という一節には会に在籍しながらも葛藤している太郎が透けて見えた。そもそも、形骸化されたモダニズムなのではないのかと考えてしまった。 美術館を出て、秋の紅葉を満喫し、その帰り道に実家へ寄った。

 

両親が祖父母の家でもある北海道に行ってしまい、「植物に水をやってくれ。」とのことだった。会社でも家でも何故か植物の水やり担当となっている。 持って帰るものを探しながら、高校1年の頃に書いた文章がデータで出てきた。森村泰昌の展覧会についての展評だった。「まだ実感はないが」という前置きの上で、「作品の鑑賞体験は、価値観や物事の視点が変わること。」と端的に書かれている。まだ実感が伴っていない自分を省みた。 結局、求めていた資料はなかった。本を何冊かバックに詰め込み、そこから下北沢まで向かった。

 

ミスタードーナッツに行き、お金を取り出そうとしたらない。頼んだのにも関わらずキャンセルした。カバンに入っており、もう一度行ったら、向こう側の人が「先にお金を徴収しておけばよかった。」とボヤいていた。またやってしまったと思う自分がいた。