20211119

深夜に鍵をあけてツイッターのスペースを初めて開いた。鍵垢の韓国ネームの人が入ってきた。

片言の日本語でワタシ、ジュウハチ。アナタ。ナマエハ。と聞き返してくる。

ハンバラ。

急に韓国語と英語がないまぜになる。

ないまぜになっているため、英語で対応するもよく分からない雰囲気で終わり、

スペースから退席する。それだけ。


寝て起きて実家のご飯を食べる。うまい。


朝方、父親の喉の調子が悪い。蓮華が年を取っている。

玄関で出勤前に母親にごろごろにゃーん。みたいな声でくうーん。と鳴いていた。

母親がなにそれ。は?と言っていた。それをみて、私は複雑な気持ちになり、この家を出なければならないと思った。


会社に行ったらいつもの先輩がいつもと違う。午後休だからなのだろうか。

雰囲気も違う。デートか。

一緒に仕事をしてもテンポが違う。突っ込みいれてくる。

社内でおじさんもみてる。


そういえば、この前、別の人が別の人に僕とのラインのやり取りを見せびらかされたことがあり、おじさんと会話しているみたいですねと指摘されたことをまた僕に伝えてくることがあった。

オジサン性。鈴木涼美のニッポンのおじさんを読んでもどこかしら男性が内面に抱えているオジサン性。二階。みたいな所について最近気にかかっている。ジョークで合いの手いれるとか。そう言った物事かもしれない。


昨日書いた文章もどこかでそういった男性の開き直りが入っている。ユーモアとして受け入れてくれるのかそこで葛藤がある。


通勤中に読んだ保坂和志のライティング論によれば、彫刻展を見に行った一節が書かれている。はっきりいって、展示をみてよく分からない。だけれど見た後に作品について言葉を通してかたどっている。という内容だった。


僕自身も分かった気になってこれって。みたいな話をしたりするのがオジサン性としても内包している。作品についてクドクド話したくなってしまう。それはくどすぎない程よい距離感身に付けられたらいいよねとこういう文章書いておきながら思っている。おじゃる丸みたくなってきた。


ここからはこの前に起きた炎上についてのメモを付け加えて置く。

日記なのかなんなのか。速記だ。


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一種のショーとしての徳光和夫水道橋博士が買いかぶるという構造がそこには働いており、これがどこかのスナックでの会話だったら流されてしまう。流されてはいけない。断罪しなければならない。


スナックの空間がマジックミラーでのぞき見されていると思っている事ができないおじさんたち。


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洗い場で別の部署の先輩と昼ごはん何食べたのか話をした。

僕は実家から来ているためか恥ずかしながら母親の弁当を久々に食べました。

ザコンっぽいですよね。と話した。

そしたら先輩が「郷愁愛だね」と言っていた。

巷ではマザコン男というのが毛嫌いされている中で、別角度からのことばだった。