20211209

 最近になって粟田大輔先生が評論家になって初期の仕事が気になり始めている。榎倉康二についての評論で美術批評のデビューを飾り、そこから田中功起などの同世代作家を集めた藝大でのキュレーション(「ヴィヴィッド・マテリアル」展)。泉太郎の価値付けも粟田先生なしでは語れないと考えていたりする節がある。どうなのだろう。私は学部の頃に中原祐介の研究会で初めて知り合い。そこからだった気がする。「美術批評盛り上げよう」と学部一年の私に話してくれた記憶がある。

 林道郎の退任から初の女性会長というニュースが流れたのがそもそもだったりしなくもない。年末に美術についての話し合いがあるのだけれども。そこでもどう触れられるのか気になっていたりする。気になってばかりだとだめかもしれないけれど。

 元教授はこの件について「なんで加藤茶は許されて。美術の中だと許されないのか。」と話していた。あまりよく知らない。

 院の頃の友人が同じ時間を共有する彼氏が欲しいとツイッターで以前。悩んでいた。アプリも登録したけれどやはり。みんな顔で判断して傷ついたという。私も傷ついたときあったが、それも感じ方なのかもしれないとも考えていたりしている。抽象的にいって。感じ方なんだと思う。