20211223

 また、これも仕事の話になってしまうが。

 この前、例のこたつの脚を壊した事件のときに飲んだ友達がいま、人事部をやっており、僕の会社の話とかその友達の会社の話をした。
 僕の会社はテレワークとの両立によってか交通費の支払いに手間がかかっているという話もした気がする。実際、テレワークによって働き方の視点が斜め45度寄りの移り変わりをもたらした。
 その視点の変化に人事であったりの管理部門が適応できているのか定かではない。実際、申請の仕方が増え、業務量が増えている。けれども、働き方を固定化していたこの社会にとって「多動性」をもたらしている。確か、堀江貴文が多動力という本を書いているが別に動きまくれという話でもない。
 動けば動くほどのリスクや丁寧さが減ってしまう。速さを求められ、その速さに適応できない人たちはあぶれてゆく。平たく言えば勝ち組/負け組という言葉もそこから派生している様に感じられる。これが結婚と子供を設けたりしたらより際立ってくる。

 話をすり替えるようでまたすぐ消えるが、子供庁に家庭を付けて、女性が子供を育てるべきだというロジックを働かせているのも、この労働と密接に結びついた家庭環境の様な気がしなくもない。そして内面に抱えた男性性の発露だと咀嚼している。

 この前、たまたま読んだ記事で残業手当の問題について触れた記事があり、残業手当を受けなければ生活できない中間層が増えているというものだった。そういった部分に関しても千葉雅也の『動きすぎてはいけない』でどの様に触れているのか気になるところ。読んでみよう。

 その一方、テレワークによって、適応障害PTSDという枠組みによって保険となっていた部分。このテレワークでいわゆる「一般的な」土俵と近しくなってくれる分。それらの枠組みに対して共感する人たちが増えたらいいのになと思ったりする。
 僕自身も大学院の頃に発達障害の疑いが教授からあり、検査を受けている。検査の結果PTSDの気質があるらしい。ただ、これは職場環境ないし、周りとの環境によって左右される。そのため、いまはミスが多いためその気質の角が立っている。
 昨晩、帰りに辻愛沙子がハフィントンポストに書かれた発達障害の記事を読んだりした。どうやら樹の幹の柄が付いた家具が自身の住処にあると身体が受け入れないため、柄の部分だけ修正液で消すという。
 
 唐突でもあるが、昨日、ストレスチェック後の面談を受けて、最近、こたつを破壊した話やはじめてお付き合いした人と別れた後にホームに転落した話をした。その後、傷跡みせて、女性の面談者が「まあ、軽い傷ですね。」といっていた。案外、過剰な被害妄想を抱えているのではないのかと思った。