20211229

 恵庭の家でまったりしている。昨晩、ダニアレルギーが発症。文章荒れる。

 昨日書きたかったのは、ここまで生きてこれたんだから、まだ生きようよ。と呟きながら街中歩いた話だった。

 2日前から母方の祖父母の家にいる。なんで私も呼ばれなきゃいけないの?といった葛藤もあったかもしれない。スーパーに行き、クリスピードーナッツをよっつ買った。昼に蕎麦食べてからコーヒーと共に胃の中に消えた。

 去年のコロナ禍では武蔵小杉の家で家族と過ごしたが、それ以外は大方、父方の祖父母宅へと飛行機で向かう。会社の人には「雪に埋もれて死んじゃえばいいのに」と毒舌貰いながらもマルセイバターサンドを会社用に買ってしまった。冗談冗談と上司に言われるも話し方からして冗談にもみえなかった。冗談と思っている内にマルセイバターサンド買ったと思う。

 マッサージ機に座りながら寝てしまった。そこから布団に滑り込む。スマホの容量があと少しでオーバーするにも関わらず、WiFiルーターがない。

 北海道の美術について昨日のことを思い出しながら調べた。昨日行ったCAI03というスペースがあり、母体であるCAI現代芸術研究所から紐づけてみた。どうやら、プラハというスペースがゼロ年代に展開されていた様だ。梅津庸一も個展を何度かしている。ここの活動母体がPRAHA Projectというものになっており、建築家の大橋拓という人物が情報収集のために立ち上げた。1998年、共同アトリエをアーティストのアトリエ、展示スペース、ミーティングスペースに開放する。建物は元々、1961年に建設された病院であった。まず、そこで行われたのは札幌に関わりを持ったアーティスト10人によるリレー展「PRAHA10」というもの。この3ヶ月行われた展示と共に行われたのは、札幌の各美術学校を呼びかけて実現した「美術学生によるディスカッション」であった。それ以降も美術や演劇などのイベントが開催されたというが、実態がつかめていない。やや立ち寄りがたい空気もあるというサイトもみかける。

 その他、ゼロ年代の札幌には様々な現代アート開拓の歴史があるらしい。89年から活動したTemporary Space。ここは企画主体の画廊。大野一雄川俣正、戸谷成雄らが集って行ったプロジェクトがどうやらあるらしい。99年からはじまったS-AIR 札幌アーティスト・イン・レジデンス・プログラム。これは、札幌在住のアーティスト、端聡が発案した。どうやら初期は2人?で運営していたらしいが、それにも関わらず5年の間に31人の国内外アーティストを札幌に呼んだ。これには、早い時期からインターネットを利用した公募と広報を行ったという所とも関係しているという。事務局を担当していた人間がマックおたくだったところも功を成しているようだ。04年には参加したアーティストで北海道立近代美術館でグループ展を開催している。

 それから、02年にデメーテルというグループ展も帯広で開催されている。総合ディレクターに別府プロジェクトやさいたまトリエンナーレなどを携わる芹沢高志の名前がある。これは主に芸術祭。インゴ・ギュンターや川俣正、蔡國強などの巨大なインスタレーションを仕掛けるアーティストが名を連ねる。帯広開拓120年。帯広商工会議所創立80周年という記念すべき年に開催されたというが、何がどう芸術祭を行う機運が高まったのか正確な情報はない。それはともかく、PRAHAの活動以降のアートセンターの盛り上がりは下火となっているのかもしれない。

 以降行われたPRAHA企画によるArt Netは高校での出張アートとなっている。元教授はアートから発せられるノイズを大切にしていたがこの企画では、校則の中にもアートがあるという視点だ。これは、美術を非日常なものから身近な所の疑問や違和感から得られるものと再解釈する大橋の考え方が透けてみえる。根本的には元教授の考え方と変わらないなと思ったりしていた。

 ざっと探ってみたがその他にもアーティスト、磯崎道佳による「リレーレクチャー4000万キロ」やロジャー・アックリングの滞在制作など、北海道の現代アート開拓史は漏れている点が沢山ある。ゼロ年代前後のところだけでも改めてまとめてみたいところ。そんなことをダラダラ書きながら鍋の準備を待っていたら、ダニアレルギーが吹き飛んでいった。家族で鍋を囲むとしよう。


参考

https://air-j.info/article/reports-interviews/now07/

https://log-osaka.jp/movement/artplan/praha.html