20220107
最近になって、父親が東京から単身赴任中にゴルフ漬けになっていたのを思い返したりしている。母親は祖父の介護をしながらも父親はゴルフで家にいなかった。そしてわたしは千葉の全寮制高校に通っていたのだがある意味での一家離散だったと思ったりしている。
その渦中で震災がおきて、単身赴任中の父のもとへ母親とわたしは向かった。外に出れないわたしは何もできなかった。
この前、北海道で空港に残っていたときも何もできなかった。けれども何かしている。先に行く事ができないだけで。何かしている事は先にも後にもなっていないけれども潜勢力なのだろうか。
アガンベンについての本を読み始めて。そう考えるときもたまにある。潜勢力の沼にははまりたくないが。
まわりが次々と副業やら本業の達成感。幸福感をPRするためにSNSを運用している。わたしみたいなある意味での愚痴や憶測、推測といった相反するものを書いてしまうのは。多分、人のせいではないけれど。母親が自己啓発や宗教、マルチにはまっていた時期があり。それをみていたりしているから。そうした自己肯定感によって消さなければならない相反するものとは。それを消してしまうという手立てではなく、現実に沿ったあり方でケアしていく?方法ないのだろうか。
追い込まない仕方でまわりの触れてはいけないところに接し。それについて共に考えていく方法について知りたいと思ったりしている。こういうと重いとか。金になるの?と思われたりするけれども。そこだけでいいの?といったねちっぽさもあったりする。