20220111

 この前、たまたまみかけたアイヌに関する話題について。思い当たる節がある。知り合いのキュレーターが開催していたアイヌの表象をまとった作品展示において、アイヌ民族の衣装で登場したアイヌの人たちをレセプションで招いていた。それをみて、少し違和感を抱いた。抱く必要もなく、ただ、これでいいのだろうかと思った。それは多分、アイヌの人々と称される人がいま現在、アイヌの衣装をまとって生活している訳でもない。その衣装を称える会であれば話は異なるけれども。どうなのだろう。

 レセプションというオープニングパーティーはそういった意味をはき違えてしまう場であるとするならば、話は異なる。いや、単純に考えすぎなだけだと思う。オリンピックなどの大きな催しで、あまり躊躇なく楽しめるのかどうかなのかもしれない。
 バブルを生き抜いてきた父親は、万博の企画を携わっていたこともあってか、昔から家でオリンピックの開会式だけみて。これはないんじゃない。とか色々話したりしていた記憶はある。楽しめないというのはそういったところからきているのかもしれないと思い返したりしていた。