20220120

 昨晩、友人とたまたま映画をみないかという話となり。Zoomで映画を共有しながらみようとするも、できなかった。有料配信の場合、コロナ以降、顕著に共有配信が行われたためか。パーティ配信といった方法も出た。これは同じ画面を別々の画面で共有することが可能となっており。生配信の様なスタイルとなっている。これにすれば有料配信は可能であるが、友人は有料配信の会員登録を怠っていた。そのため無料で見れる映画を探し、杉田協士監督の「ひとつの歌」をみた。

 この映画は最初、全く会話がない。人の動きとまわりの風景が淡々と捉えられており、そのカットとカットのつなぎ合わせが人の動きに合わせている。それをカメラがたどる。その追うカメラの眼が鑑賞者となっているようにみえる。誰の視点なのか分からない。けれどもその視点の先を追う中で作品の内容に吸い込まれていく。この巻き込まれる映画の感覚。そしてどういった話なのか判然としない。後半になるにつれて。物事と物事がつながっていく。
 これと結びつくのか。それとも私の読解力が確かなのかは分からないが、中井正一のコプラについてもう少し知ってみたいと思った。コプラとは、映画のカットとカットのつなぎ目の事である。そのコプラを鑑賞者は考えたりするという話を中井正一はしていた気がする。

 仕事をしながらスティーリー・ダンのDirty Workという曲が何故か耳鳴りのようになっていた。

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