20220121

 昨晩、批評や作家の人の話を聞いて、印象批評について考えたりしていた。学部の頃、構造から美術のことについて捉える事ができない所がモヤモヤしていた。それは教授が書き方を教えてくれなかったという事もあるが(大学院にいってもそれは変わらなかった。)その印象批評について、最近になってから難しいものではないのかと思っていた。

 僕は中学生の頃、ある意味での痛さを抱えつつも印象派が好きだったときに、「あー。筆でもロック。できんだな。」と思ったりしていた。「モネについて研究しています」という自称をいろんな人に広めていたりもした。クロード・モネは光を捉えるために時間ごとに水連を晩年は描いており、それが大量に各美術館に収められている。この刻印がレコード盤の刻印と同じにみえた。
 レコードは盤に収められるという技術を通して多重録音や環境音も音としてとらえる事が可能となった。そのためレコーディング中の作業音も音楽として聴きとれる。確か、ビーチ・ボーイズの曲でブライアン・ウィルソンが咳払いをする音があり、それも音楽として回収されてしまうのを高校の頃に中古CDショップで聴いて捉え返したりもしていた。ペット・サウンズではなく、
 モネは印象派という文脈で語られてしまうが、チューブ絵具によって外で描く事が可能となった功績が大きい筈。それまでは師匠、ブータンも豚の校門に絵具を入れ、アトリエでの制作が必須だった。けれどもチューブになることで持ち運びが可能となり、刻印が可能となる。この刻印を意識したのがモネだったりしないのかと思った。異なる時間で同じ場所。そこで描いているにも関わらず全く印象が違う絵が作られる。それはブライアン・ウィルソンが咳払いをする様にどこかで誰かが筆を持って、ギターを持って鳴らしているという所がいいなと思ったりしたのかもしれない。
 けれども、中学生の頃。全寮制の学校。同じ部屋だった人が軍歌や小林よしのりのゴー宣にはまっていたため、勉強机に貼った印象派のポスターを全て剥がされた。ドイツかイタリアといった日本の同盟国しか貼ってはいけないらしい。その人の方が力も強く、声も大きな人であったため、僕はその人にどう会話をすればいいのか分からなかった。それが課題となり、日本美術史について触れ、戦争画というものがあってという話をしたりした。そこから多分、印象、みたいな話よりもある意味でのトキシックマスキュリティに疲れながらも適応しなければ会話はできないとある種の諦めを背負っていたのかもしれない。
 今日。その人とは別の高校の友達に会うはずであった。けれども濃厚接触者が友達の近親者に出たらしい。その人は家族でサーフィンをする人で同居していた右翼とあまりそりが合わなかった。何故か分からないが僕はその右翼とサーファー。どちらの話も聞けた。職場の先輩にも言われたが、無個性だからかもしれない。帰ったら、家に昨日漬けた唐揚げ用の鶏肉が冷蔵庫に眠っているためそれを揚げる事が楽しみで仕方ない。
P.S. いまさら思い出したのだが、声のでかい右翼が好きな人にひっついていたとき。高校の頃からの腐れ縁でもある元ホストの友達が「お前、金魚の糞みたいだな。」と言われたことがある。そういったところから批評が始まるのだとしたら。金魚の糞なのかもしれない。