20220310

 昨晩はことばの学校だった。

 矢野さんと一対一で話を聞けたのが収穫だった気がする。
 僕の文章もみてくれた。抽象から具体例にはいり、抽象に入ってくるねと言われ、矢野さんの場合、具体から抽象に向かっていく書き方をしているらしく、もう少し具体例が欲しいと言われる。
 講義中に僕は自分が書いたその文章をnoteにあげる。
 講義後のZoomでは、批評家の佐々木敦も参加。
 山口昌男の話になった。
 どうやら、浅田彰柄谷行人といったニューアカデミズムは山口を毛嫌いしており、大江健三郎は山口の影響を受け、良くなったけれども山口はどうなんだろうという話をニューアカではされていたらしい。けれども、いぬのせなか座は吉本隆明を崇拝?しており、そういうところからも、ニューアカが毛嫌いしていたものがいまの人たちに読まれているのではないのかという話になった。
 チャットで敗者の精神史読んでます!といって、矢野さんは『道化の民俗学』とか面白いよと話していた。3.11以後とかも影響してるんすかね?とも聞いたけれども、矢野さんにとっては中沢新一がまた出てきたところが印象深いらしい。
 
 3.11.の後、新書で中沢新一が第三エネルギーを唱えており、同学年の何人かが読んでいた。それを受け、僕も読んだけれどもこれがオウムに入信することなのか。と思ったりしていた。それもそうだが、タントラの話だったり、カルマの話が印象深かった記憶もある。誰もがエネルギー政策の話をしているときに思想と絡めて話すのは中沢新一と東北学の赤坂憲雄くらいしかいなかったのではないのか。僕は赤坂の本を評価していたが、当時の友人からはお前の声じゃないよな。と言われて、どう僕の声を差し出せばいいのだろうとモヤモヤしていた。
 ニューアカは声をどれだけ分節化し、多言語で精神分裂しているイメージがあるけれども、「お前の声知りたい勢」が熱くなってきたのはここ最近の事なのだろうか。
 会が終わった後、YouTube。矢野さんがマキタスポーツと話している。
 この人。映画、ここは退屈迎えに来て、でパパ活してた人だよな?と思う。「渋み」とは。
 マキタスポーツが僕が北野さんから教わった事はと話しており、矢野さんも僕に対して北野さんのネタ披露してたの思い出す。
 北野武も学生に数十本の色鉛筆を渡すと絵を描けないけれど、10本とか5本だったら絵は描ける。学生の。絵。
 
<参考>