20220329

 そういえば、昨晩、傾向と対策を練った友達とは元カノとなんで別れたのかとか、なんで絵とか描かなかったのか聞かれた。別れた理由を最近になって思い返したりしたけれど、多くの人が感じている幸福感や一般的な幸福感の期待に応えることができない(こういうと消極的と言われてしまうかもしれないが、多分、追いつけない。時間が経っていくのが早い。)からなのかな、とか少し時間が経ってから考えはじめた。

 一人暮らしを始めてからあのとき、そうか、と思ったりしていて、けれども生き急いでる感じが僕の気質に合わなかったのかもなと思っていた。それだから余計に「ふつう」とか「一般的」について振り回されて疲れたりしてたのかなとか思っていた。

 

 会社に行ったら退職する予定の人がいた。フランクな人で話しかけやすい印象があった。GAFAMをみにマサチューセッツに行ったりしていた話などを小耳に挟んだりしていた。転職してきた人は大手からきて、その人は、まあ、悪い人しかいなかったんで、と話している。

 この前、マスクの話をした人が三連休明けで出社してた。彼氏と旅行したのかなとか考えている自分がいた。

 営業の人も辞める人が一人いて、帰りに会社の窓際を見るとみんなで囲んでお別れの挨拶をしていた。

 帰り道で母親と合流し、近くの定食屋でご飯を食べた。函館の料理を振る舞ってくれる店で、母親が父親の実家から帰るとき、千歳空港で食べていた豚丼屋さんが牛丼屋になってたから久々にあっちの豚丼を食べれると意気込んでいた。僕は昼に日高屋のチゲ麺を食べていたため、塩っけのないものをということでしらす丼を食べた。どちらも美味かった。また来たい。

 僕が生まれた頃の家といまの家の家賃は同じという話になる。そういえば、父親は前の奥さんと別れられずにお金を払い続け、母親が家賃をたてかえていた。ふと、元カノの話をした友人が何もやりたいことなくなって、結婚が人生の、となってる人が怖いよ、と話していたのを思い出した。

 校正の仕事している元カノにあの教授がどうやら、DTPっていう仕事、もう業態としてないらしいね。と研究計画書の赤入れしていたとき言ってたよ、と言ってあげたい。

 結局、好きなことやっていけば、きっとなんとかなんのかもな、そっちの方が変なことなんなくてすむのかもな。気長にいこう、と思った。