20220406

 ことばの学校。倉本さおりさんの回だった。

 自ら書評を選び、それについてさおりさんからのご指摘を頂く回となっていた。書評と批評。何が違うのか選ぶときに少し考えた。何故か、買ったけれど読んでいなかった本の書評を選ぶことにした。
 年始の千歳で大雪によって待っている間に買った、お笑い芸人、ハライチの岩井による小説、僕の人生には事件が起きないの書評を何本か読んだ。鴨川ホルモーの作家の人と武田砂鉄さんと佐藤さんの書評。どれも面白かったが佐藤さんのだけ分析的な手つきではなかった。それが小説やエッセイにおける書評の手つきにみえた。
 倉本さんは度々、書評家は様々なペルソナを演じ分け、本の紹介者に刺さる書評を編むという話をされていた。小説家が書評を書く場合、確かに小説家自身のテイストが強い。これはひとえに作家性というべきものか。
 佐藤さんはしゃべれども、しゃべれどもという小説を書いており、声について扱っていた内容となっている。ちなみに次の課題で宇佐見りんの小説の書評を書こうと考えている。これも身体的な部分を扱って書いていきたいと思っている。そうした問題意識ともつながっていた。
 時間が遅くであるためか、僕の発表から退席者が2人ほどいて、みんな穂村弘とか大御所の文章を扱っているときは聞いてそうでないときは退席するのが気になった。ハライチの小説も面白いのに。