20220409

 絵描きの友達と散歩した。最近、移転した古本屋に行ったり、中華料理屋で晩御飯食べた。その人が夢の話をしてた。よく分からないアバターに告白して、初めて空の上にいたんだよね、という話をしている。僕はその話を聞いて、あれ、マルク・シャガール?となっていた。そいえば、シャガールリトアニアに近い。それにしてもシャガールの絵は、男が首を曲げて女性にキスをする絵など、エポックメイキングな所がある。

 シャガール。マルク。

 それから、独り言をしている人が3人並んで歩いた話をしていたりした。最近では通話と言いつつも独り言に見える光景があるけども、どうやら本当の独り言だったらしい。書いていて本当の独り言というのはあるのだろうかと思っていた。

 小学生の頃、独り言ばかりしていてその独り言に夢中になって車に轢かれてしまった事があった。これは重症なのかもしれないが、独り言は人を幸せにするのかもしれないが、不幸に落とす手段にもなり得ると思った。けれども足の捻挫でなんとかなった。車輪に何度も足が巻き込まれたことがあり、それは子供の頃、身体が柔らかかったこともあるのかなと思っていたりする。それにしても非言語系と言語系は違って違くないのか。言語系なのか僕は。

 そんな躓きに陥ったとき、シャガールの絵をみると。あー。空。飛べたらいいよなって思ってしまう。

 そういえば、シャガールピーター・フォークに見えてしまう時がある。そういった文脈と言っては難だが、ヴィム・ヴェンダースのベルリン天使の歌でも登場する。あれも天使が見ている風景だった気がする。

 シャガールはどこを見てたのだろう。それをロマンと言ってしまうのは軽々しいけれども、ロシア構成主義の時代とアメリカに渡った頃の作風の違いとかも気になってしまう。どこまで夢のまた夢へと向かう事ができたのだろう。旅路を追うためにもシャガールについて死ぬ前にでも書いてみたいと思った。