20220414

 ことばの学校。倉本さおり回。最終回だった。

 書評を書き、提出するといった内容。
 試写室で行われた。緑色のマットな席であったため、多少、ぼーっとしてしまう。岸田くんは提出していなかった。忙しかったのだろうか。
 倉本さんは至って厳しい先生であったため、ボソッと僕は厳しい、と講評を受けているときに呟いたら、聞こえたみたいで、愛です、と即座に反応していた。
 次々と講評を続け、僕にお鉢がまわってきた。後半、畳み込み過ぎたためか、その部分をもう一言欲しい、と指摘されてしまう。他の人の文章も読む限り、印象批評ではないが、内面の部分を描き出す必要があった。
 スマートに書きすぎている。
 そこで、倉本さんはペルソナを書評家は演じ分けるという話が思い浮かぶ。この演じ分けるペルソナを僕はまだいくつも持っていないのではないのかと思い返していた。それは、限定した本しか読んでいないということもある。
 そして、書評をもし書く場合、付箋を掘り起こし、それを選び取って書いていく話もあった。聞いていた人の中で、本を読む中で意識が変わってしまい、固定したペルソナから溢れてしまうことばがあるという指摘もしていた。そのとき、倉本さんはテーマをはじめに設定し、そこから語り始めると話していた。
 今回の課題は提出者が少なく、リスキーな課題でもあった。けれども、僕は小説とは何か、を提示した上で語る形式にした。それによって簡潔ではあったものの、後半部分で言葉が出なくなってきてしまった。
 4時間もの講義を終え、家に帰り、寝て、出勤した。
 夜中は少し暑かったものの、朝になると冷え込み、一日またぐだけで季節が変化していた。
 会社に行ったら、引っ越しを控えていた人がいた。家賃高いと話している。僕は横浜の鶴見とかどうなんですか。と聞いてみる。そしたらひとりは、嫌な恋愛した女が住んでると話したり、もうひとりは坂が多いと話していた。鶴見は因縁が残っているんだなとそのときふと、思い出していた。保守的な人が多いのだろうか、横浜と川崎という宙ぶらりんな所もあるのだろうか。
 派遣で引っ越しの作業のときに行った事があるけれども、帰ってください、と言われたことがあったのが鶴見だった。それと、母親が横浜弁を使う古い人が住んでいた印象があると言ってた記憶もあり、鶴見に保守的な価値観を持つ人が住んでいないのだろうかと気にしている。
 ただ、保守的な価値観というのは脆さに弱い。むしろ、その脆さを言語化できない。そのため、対立を仕組んでしまったり、ギクシャクしてしまったり、フラットな言葉で如何様にも聞き取れるが、落とし穴のある言葉を噤んでしまう。そういうときに分からないと言えるのかどうか、分からないのであれば聞く事ができるのかどうか。それをどう疎外感なく話せるのか気になった。