20220418

 相対的に気分がすぐれない。

 昨晩、妙な電話をしてしまったからだろう。以前、高校の頃の友人が彼女ができない、寂しいという事で何故かグループラインに入れられ、急に電話がなり、それに対応してしまったときがある。
 この日記にも書いたが、そういったとき、僕はでない、という事ができない。
 受話器を取ってしまう。いま、受話器を取るという事が平気な感覚でしてしまう。それが何にも気にしない人であればいいのだけれども、人について思いを巡らせて、話を連ねたとき、まずい、話してしまった。お互い悪循環なコミュニケーションを取ってしまったと後悔するときがあり、どうなんだろうとなる。
 
 昨晩も急に電話をかけて、向こう側が受話器を取る抵抗もなく取ってしまうという事があり、それなりに話を濁せる相手であればいいのだけれど、そこから真剣に考えてしまう相手であったためか、亀裂が走ってしまった。

 この前、グループラインに追加した人について腐れ縁と昨日のんだとき、話していた。彼の弟が大手企業に勤め、その大手企業から転職してきた人の話を僕は腐れ縁にした。
 その転職してきた人は、あの会社にはいい人はいません、と話していた。
 それについて、腐れ縁は、いいじゃん、弟、出世できるじゃん、と話していた。
 その兄とサッカーをするときがあり、兄はよく、自分からシュートを決め、パスを回さない癖があった。そういった場面を何度もみており、腐れ縁もそれを知っていたためか、兄について、彼女できないだろー、人に興味がないからな、と話していた。

 人に興味があるのか、ないのか、それは僕にもあったりして、たまにそういわれるときがある。けれども、それについて考えたり、言語化したりしたくない、みんな不幸である、というレッテルや何らかの枠組みをつくり、蓋をする癖があるからな気もする。僕はというと、それを解決できたあらいいのだけれども、ひっついているときがあり、そのひっつきが取れない。
 
 それはいいとして、誰かに無意識に傷つけていたりする場面があり、それはみんなしている、けれども無意識であるため、気質なのだろうと僕は思っている。元カノだってそうだし、昨日話した彼だってそうだったし、みんなそれについて向き合う体力も減ってどうでもよくなっていく。
 そのどうでもよさ、雑さが許容されない社会にもなっている。

 けれども、それについては、どっちもどっち理論でもなくて、遊んでいる感覚を遊んでいる感覚として目を向ける事ができなくて、それがちょっとした行き過ぎた所に移行したとき爆発した後玉が飛んできたりする。
 お酒の力も大切なのではないのかとも一瞬思ったりしていた。