20220426

 母方の祖父が認知症のとき、僕は中学生だった。その頃の事を思い返して、多分、介護やほっておけない、という感覚が刷り込み教育の様に身についてしまったのではないのかという憶測が働いている。そこで、これだけ優しい事をしたのだから、という図々しさも買っている気がした。

 反抗期もさることながら、突っ張り様も、そういったキャラでもなかったためか、介護の手伝いをしていた。
 映画、ゆれるの香川照之みたいになったらやだなとも思ったりした。
 実家に戻ったためか、その記憶がふっと通り過ぎた。それから、ぼーっとして奨学金の返済計画を立てる。祖母から棚から牡丹餅ではないが、10万くれた。それを全て奨学金の返済に充てる。けれどもまだ返済金額が百万あり、計算すると10年かかる。この国は勉学せずに、早めに働いて生産性を上げろということか。分からない。
 そんなことを考えて、ぬくぬくと電車に乗ったらスラックが。遅刻してたみたいだ。まずい。
 大学院の頃、TAで遅刻した事があり、そのとき教授に、俺に恥をかかせるな!と激怒された。恥をかかせるな。その言葉が頭によぎる。恥とは。仕事をしていても、自分の仕事である、という自覚が少し薄れてしまった。希薄。
 コロナの対応もさることながら、少しずつマスクを外す人もみかける。そんな中、僕は消毒をしている。何故だろう。

 午後にことばの学校の課題がアップされていた。何を書きたいのかという課題だった。みんな饒舌なものを書いているけれども、僕だけ地球の歩き方の別冊を書きたい!という謎なチョイスをしてしまう。切羽詰まってたからだと思う。けれども、改めて課題で民芸について書いていなかったためか、その熱が舞い降りてきた。はず。
 仕事終わりに映画、アネットみて泥でもかぶろう。そう思った。それから、アネットをみた。

 退勤後、向かい風が強い。たまたま出入口で知り合いらしき人をみかけた。映画館を出た後も、待合できる椅子の辺りでスマホをいじっており、目があったものの、最近、唐突に、電話しませんか?とラインをしてしまい、既読スルーされたため、声をかけずに映画館を出た。
 アネットをみて、セックスばかりして、彼女ができない横浜から選手村に引っ越す彼や元カノと別れた後の事を思い出したりしていた。アネットという主人公の娘が人形から子供が演技するとき、ののちゃんを思い出したりした。ののちゃんもアンドロイドみたいで、どこか大人が操っている様に見えてしまうときがあり、どうも不安になるときが僕はある。
 なのでカラックスが人形を用いて娘役を映画に出演させるのは皮肉な印象を抱かせた。そして最後、主人公が牢獄で「こっちをみるなよ。」と鑑賞者に投げかける。それがゴダールの勝手に震えてろで、最後に役者がスクリーン、鑑賞者に向かって話す感覚と似ていた。
 オープニングとエンドロールで役者全員が出演して、映画が始まるよ、みてくれてありがとう、と投げかけるのも、演劇なのか映画なのか分からなくさせる。ナンセンスだ。けれどそのスパイスがカラックスだった。