20220617

 退勤後、学生の頃にアルバイトでお世話になった施設長の追悼展示に行った。横浜は元カノが徘徊しているためか、あまりいい思い出もなくあれからパタリと足を閉ざしていた。母親が横浜駅の駅ビルにあるショッピングモールに父親とよく出かけており、その光景も、僕には今後ないんだろうなという否定的な感覚とないまぜとなっていた。

 それはともかく、施設長の展示ではアーティストレジデンスでお世話になっていた作家の展示と遺品展示によって構成されていた。服が吊るされて、宙に浮いていたりした。ギターもときたま仕事をしていたときに弾いて歌っていたなと、箱から少し浮き出たギターをみて思い返している。
 いまでもスタッフとして働いているつざわ君にも会った。若い頃のいい写真紹介するよ、といって紹介してくれたものの受付のパンフレットを通読してしまい、「これも、パンフレットでみたわ。」と言ってしまった。
 トークショーは別料金がかかる。つざわ君のはからいで無料でみせてくれた。施設長が大学を退学してから通った「Bゼミ」という横浜の美術系学校についての話がメインとなっていた。それから、仲間とアパートを借りて作品を制作していたり、横浜の市民ギャラリーで爆音の実験音楽祭を催して上のフロアの役所の人々が降りて見にきたりといった会話で盛り上がっていた。
 施設長は川俣正のゼミに参加してから川俣正のアシスタントみたいなことをしていたらしい。この作家の冊子を編集する機会が大学の頃にあり、そのとき英語の翻訳をフランス語と英語の二か国語を話すことができる建設業のおじさんに、同期の友人が依頼していたのを思い出していた。その人は仕事終わりに阿佐ヶ谷のカラオケで熱唱するという習慣があった。そこに編集をした人と打ち上げで行ったとき、たまたま家庭教師に好きな人を取られてしまい、落ち込んでいる僕に対して、Mr.Bigの曲を彼が熱唱して励ましてくれていた。
 話を戻せば、ヒルサイドテラスの展覧会を北川フラムが任せてからその施設長は毎年、何本もの展覧会を企画していたという。そして、Bゼミにも講師で呼ばれ、橋本聡や森田浩彰といった作家が参加していた話を伺った。
 トークが終了し、こばやしさんに「お疲れ様です。」と伝えたら、こばやしさんは「疲れたよ。」といっていた。