20220623
深夜、岸田が何人かの人を集めて、西東京連合を結成すると話し始めた。関東連合みたいな名前だなと思ったりしていた。
ご飯を炊くのを忘れていた事に朝になって気づいた。歩いて数分のコンビニでサンドイッチとコロッケサンドを買った。食パンも8枚切りのを買った。
コロッケサンドを食べたとき、コロッケの厚みがいつもより薄い。その薄さは何かわからない。あれ、とおもったらハムカツサンドだった。
昼の空いた時間にツイッターをみた。あさやまさんが東京都写真美術館で開催されているアヴァンギャルド勃興期という展覧会を見に行っていた。どうやら僕が勧めた展覧会だった。あさやまさんは大阪でサイレント映画について興味があり、映画について話す会みたいなものを運営している。
ヒトデという映画があり、その監督が撮影した?写真があったと興奮していた。今度、みてみようと思う。
日記を書いていて、この人がこうこうこういった。ということを、こうこうこう言われたくない物事に転じてしまう要素について考えたりしている。日記を開けば開くほど、その転じ方を考えざるおえない。
古い批評は特にその「ベタ化」みたいな言葉の運用の仕方をしてしまい、そのベタ化がベタに語り過ぎだよねと思ってしまうこともある。
それと言葉にすれば強い語りになってきてしまうこととかもあるのかなと。
高校の頃に同じ部屋の先輩で自分の陰口をしている人をみて、「陰口を言うなら俺に言えよ。」とどんな人にも言っている人がいた。けれどもひとつ上の世代で、他の人はあまり広く人とコミュニケーションを取るタイプでなかったため、何故か憚れていた。それについてときたま、何故だろうと考えたりする。
僕は以前、元カノに通報されたときに、パソコンでそのときの心情を言葉に書いてメモにしまっていた。警察署でパソコンも押収され、開けばそれがみえるタイミングだった。尋問のときにその場で警察の人からメモを全て消せと言われ、泣きながら言葉を消したときがあった。
これは尋問という空間。密室の空間で行われる。密室の中での尋問にある種の暴力を感じた。
「その言葉を消せ。」
その「消せ」という言葉は「あなたはこの世界にいる必要がない。」みたいな文言にも聞こえた。
そうか。ここにいない。どこにもいないんだなと思った。
けれども、その言葉を表現できる場がない務所で生活している人もいて、そことの違いであったり、いま、言葉をこう書ける、綴れる、その自由とはなんなのか考えたりしていた。
言葉が誰かに奪われる。或いは、消される。消されたまま、書いた人にはなにか傷跡が加わる、といったことばにならない嗚咽があり、その嗚咽はなんだろうとも。そこから日記を書いて、言葉を書いたりし続けて、悩んでいるんだろうなと考えたりしている。誰が読んでいるのかも分からない文字を綴っている。
午後あたり、2日前に行った銀座の会社の通知がきていた。結果はだめだったらしい。これで2社、内定をもらっており、人事に今後の動きであったりスラックで相談した。ひとまず、明日、連絡しなければいけない会社を蹴って、30日までに連絡くださいと話していた本田圭佑みたいな人事の人がいる会社にしようと思っていた。
今日は会社の陣営でさとうさんという人がいて、僕は別の人の陣営だったためか、嫌われているのかなと思ったりしていた。退勤。会社の面接の予定をキャンセル。給料日前ということもあり、幅の利かない生活体型をしている。
会社の農園で採れたズッキーニが冷蔵庫にあり、それを使って暑いし夏野菜カレーでも作ろうとしていた。豚のブロックとナス、ピーマン、玉ねぎを買った。
ことばの学校の説明会だったらしく、重箱の隅をつつくような質問をし続ける人がいたらしい。佐々木さんが「疲れた」とツイートしていた。
家について、ズッキーニを切った。成長したきゅうりだった。