20220724

 深夜にスペースで沖縄にいる人とアレック・ソスの話をしていた。その人曰く、ソスがいまの時期に評価されるのはいいらしい。ライアン・マッギンレーがゲイ同士でピースしていたのが終わり、被写体がどう映されるのか考慮した上でソスが撮影していた所だったりとか、その速さよりも遅さの表現が「いまっぽさ」だったのかもしれない。

 寝てからぼんやり起きて、風呂掃除をして風呂を入れ、朝食を作って、食べた。そしてまた寝た。それから少しして、この前、送られたカボチャを思い出した。時たまカボチャを送ってくる人がいる。その人はこの前も本郷のギャラリーで展示をみた。何故か、インスタのストーリーでカボチャいりませんか、というのをみかけ、毎回、立候補する。この前はカレーだったので何にしようかと思い、昨晩、使ったカルアミルクのミルクを使って冷製ポタージュを作った。お菓子を食べながら作っていたためか食欲もなく、そのまま練馬に行くことにした。

 バスで阿佐ヶ谷駅まで行き、途中下車。そこでワッパーを食べる。隣の男女の男が彫りの深い石田衣良みたいだった。本当に石田衣良だったらもっと目がとろっとしている筈だと思い、声の感じとかからも違う人だと判断していた。そこから中村橋までバスに乗って向かう。待たずにすぐくるバス。

 下車して朝倉摂展に向かった。朝倉文夫の長女として生まれ、舞台演出で知られる。蜷川幸雄唐十郎の空間演出もしていた。初期の活動は主に日本画が中心となっており、高山辰雄や横山操にみえた。つまる所、ゴテゴテしている。また、彫りの深い造形物に出会ってしまったと思った。

 描かれた対象にどことなく社会批判が込められていた。戦後の「男性」の労働力と「女性」の労働力についても考えさせられたり、安保闘争などの政治運動にも触れている。最後の年譜で知ったが、岸信介のデモを仲間を集めてしたとか書かれていた。活発的だった。

 最後のコーナーで絵本が展示されているのだが、そこでもゴテゴテしているのがよかった。それはともかく、批評家の針生一郎が度々、登場してくる。けども、針生は母体について描いた絵を評価しており、社会批判を内容に用いた絵を嫌って、「もっと母体表象を描いた方がいい。」といっていたらしい。図録に引用された対談は生々しく、気持ち悪かった。

 けども、日本画再興論?を針生が打ち出したときに呼んだりしたり、なんだかんだで意識している。このなんだかんだで意識しているむっつり感。なんとかならんかと思いつつも、自分もそんな所あったりするのかな、と思ったりしていた。

 帰りに古本屋でベンヤミンの『暴力批判論』とBTのジェンダー特集を買った。世田谷美術館時代の長谷川祐子が「デ・ジェンダリズム展」を企画した頃。マシュー・バーニーが紹介されている。他にもバイセクシャルの写真家だったり紹介されていたが、ちょっとしたブーム感を出してニッチな話題を組もうとしている感覚があった。

 家に帰って母親が持ってきていたうなぎの蒲焼をチンしつつも、余ったカボチャの皮で大学芋みたいにアレンジしていた。その後、セックス・エデュケーションズを途中までみたのを見返したりバチェロレをみたりしたりしていた。少し飽きて、腐れ縁が紹介した「僕の大好きな妻!」をみてみた。途中まで自然にみれたものの、「女」「発達障害」「家事」といった生活体系が少し違和感を覚えた。これが「男」「発達障害」「労働」だったらどうなのだろう。

 けども、本来は関係ないものの、いまだに「働けない男」の道先を案じるドラマだったりないなと思ったりしていた。そこで見るのが辛くなり、外に出て銭湯にいった。そういえば、元カノも「働けないで怒られている人がいて、その人みたいになりそうだよね。」みたいなことをボソッと呟いたりしていたときがあり、なんで付き合っているんだろうと思った。逆に僕と付き合って手間なんじゃないのかな、とか思ったりして、別れて健常者と同棲して幸せそうで良かった。僕はふつうの「幸せ」みたいな輪郭をなぞった生活を送れないから不安になっていた。

 インスタのストーリーをみたら高校の人が一色海岸のストーリーを流してたり、クラブで会った人が父親と行く予定だったオリジナル・ラブのライブを友達と見にいっていたりしていた。何故かフランク・オーシャンを聴いている。

 それぞれの幸せがあって、僕もそれぞれの幸せだったりするのかな、とか、幸せってなんだろう、確かなものじゃないけども、言語化しているこの感覚も元カノにとっては不幸にうつったりして、その対比、グラデーションをいっしょくたにしている視点が違ったりしたのかなとかボヤボヤしながら家でレモンハイを飲みつつパソコンに向かっていた。