20220801

 Wikipediaからメールが何通か届いていた。「あなたのアカウントは私のツイッターのアカウント名と酷似しているため、なりすましではないのか。」というアカウントからのメールだった。適当につけた名前が同じ名前を持っているアカウントに注意される。「こんなことがあるのか。」と思った。

 ふと、昨日の文章を書いては思い返していたのだけども、案外、元カノと別れたのも家庭環境が影響しているのではないのかと思った。元カノの家は結婚してからずっと一緒でもあった。それによって「結婚」を早めにして「安定」を得るという理解なのかもしれない。以前、元カノから「仕事をしていればいい」と言われたことがあり、そこで私の身体の中でダムタイプのS/Nみたいに「MEN」「WORK」という属性の強固な記号が飛び交う感覚があった。
 あのパフォーマンスでの記号が飛び交う演出は、属性の中での「あなた」や「わたし」とは何か、そして恋愛とは成立するのかといった問いだった様にみていた。となると、恋愛みたいな活動は生殖の活動とはまた異なっていて、人間のみなのかなとか思った。けれども元カノのあの話しは僕以外でも取り替え可能な感覚がして疎外感もあった。
 こういったものも渦中にいると分からないものだったりするのだろうか。思い返すとでるのかな。この感覚って事後的なものなの?昨日の分を書いてまた少し、元カノのモヤつきが生まれたのだけども、映画の日ということもあって、退勤後に映画を観て気分転換しようと思った。