20220830
昨晩、映画をみてから「映画の見方」が分からなくなった。単館の映画館で上映されたその映画は、シーンとシーンの間のセリフがない間合いのショットの使い方が、2人の関係性をどちらとも解釈できる描き方になっていた。その場合、シナリオみたいなものが機能しなくなってしまうのだけども、映像のショットが補填してくれたりしていた。映画の修士号を収めている人に「映画はどうみたらいいのでしょう?」とDMをしたら「美術もどうみたらいいのでしょう?」とDMが返ってきた。雑にいえば、現代美術において、ミニマリズム以降の美術について鑑賞できる鑑賞者が一部ではないのかと思ったりしている。そうした評価軸についての知識を蓄えなければならない、といった意味において「鑑賞にたえうる作品」というものが未だに分からない。
退勤後、恵比寿の書店でユリイカを買って、大岩雄典の論考をエスカレーターを降りた先、神殿を模した所にある木の椅子で読んだ。