20220917

 ザ・ミソジニーを新宿でみたり、実家で鉢をもらったり、新しいメガネをとりに行ったりしており、道中、村上春樹の『1973年のピンボール』を読了していた。カントを読む鼠がミステリアスな雰囲気を送っている11月。ようやく、残暑で夏っぽいのにこれを読み進めて終わり、展示で知り合った方のデュシャン論も家で読み終わっていた。この前、メールで少しずつ読み進めておりますと話して、感想を送っていなかったため、機会を見つけて送りたい。デュシャンの芸術系数という概念は計算、ゲームの中にも偶発性があり、そこに無意識とのつながりを見出すというもの。類推が類推を呼んでいる気もさせたけど、晩年になるにつれて負けのゲームを演じるチェスの名手でもあるデュシャンは勝ち負けよりも、負けにこだわる所が気になった。ゲームにおける負け意識みたいなものはゲームの意味をはっきりさせると共に、盤面の上だけの世界でその外と内の裂け目みたいな所がある。そこにデュシャンの好奇心がある気がした。チェスひさびさにやりたいなと思う。高校の頃にドバイの豪族の息子がおり、チェスの話をよくしていた。その人はイギリスに留学してからよくわからない。