20220927

 朝のニュースをみると、みんなが来月から増税のためビールをパックで買い漁る様子が披露されていた。そうか、朝からビールのニュースかと思い、そういえば今日は誰かの葬儀が行われるのかと思った。それにしても、葬儀というものに対してあまり思い入れを持てない。それは他人の葬儀なのになんで払ったお金が使われているんだろ、といった不甲斐ない感覚も伴っているのかもしれない。あれ、なんとかニクスとかいってたのに、また増税?とも思った。儀式では「学費を下げる途に用いる決断をした。」と追悼の辞が述べられているらしいが、奨学金は返還式である。

 昼に給湯室でデンタルフロスをまとめた糸のロールを使って歯を磨く。そうすると、この前に会社の飲み会の席で挨拶した男が現れた。「僕、怖いと思いますかね?」と尋ねてきた人で、僕は「もしかしたら、マスク越しに鼻を出している人ですか?」と尋ねたら笑っていた人だった。

 「何をやられているのですか?」と尋ねてきたため「歯ブラシと歯磨き粉、サイズがあるのでデンタルフロスの糸で歯を磨くんですよね。」と話したら「そんなに変わるんですか?!」と笑いながら話していた。僕は黙ってしまった。どこか、ハマケンに似ている。

 仕事が終わり、電車で千葉成夫の『現代美術逸脱史』を読了した。補論で「コロナ禍」の現代美術についても話していた。けれどもそれよりも、具体からもの派までの物象化の過程について知れた所が収穫であったため、補論はもう少し社会的な構造の話が「コロナ禍」という括りでまとめられていたため、少し疑問を抱いた。けれども、作家論を書くのであれば状況論というものとの隔たりがあるのかも知れない。が、現代美術は状況論と共にあるため、セットで考えなければ作品のコンテクストを読み込めない。どう評価が作られるのかまでセットに語られる作家論を書いてみたいと思った。

 たまたま、読んでいたときにサカナクションの「月の椀」が流れた。読んでいて、小林正人の所が出てきて、小林正人が意識と無意識が一緒になっていて、「正体と画が一致するのは稀だよ」と書いている一節を読んで「この曲、月に話しかけている所からも異様だけども、それを歌だから編めるとかないのかな。」と思っていたりしていた。

 解説の章で光田さんが書いていた東野芳明の作家論のシャープさ、座標の高さについてもう少し考えてみたい。宮川淳の『引用の織物』も読み返そうと思う。