20221009

 昨日、書いた文章をみて、あんまり良くないのではないのかと思った。正直、少し辛い感覚があったりしていて、他人の生活にとやかく言う前に自分はどうなんだろうと思いを巡らせて、午前中の時間が冷蔵したカレーと共に過ぎていた。近所で小学生の頃の友達が観葉植物を販売しており、それをFacebookのストーリーでみつけたりしたり、あいとりのラジオをやっている作家の動画をみて、ラトビアの自由ラジオとの関係について考えたり、学部の頃の教授の本を図書館で予約したりしていた。結局、勉強は捗っていない。それよりも具体ともの派との関係や自由ラジオとそれ以降のメディアハッキングについて考える方が楽しい。この前、たまたまDMをしてしまい、「あなたの言っていることが分かりません。」と言われ「支離滅裂だし、そういうもんどう解消するのだろう。」と思っていた。元カノだったら電話できる相手とかいて、泣きながら電話しているのをみて「相談できるの羨ましいな。」と考えるのだけども、それ自体を文章に書いて整理しているつもりがここに書くことでまた別の文脈を派生している気がした。一応、書いて残しておこうと毎日書いている。いつになったらこの長い保留期間が終わるのかあまりよく分からない。話す相手もいないために書いているけども「人と一緒にいる」というのが難しくなっている気がした。金曜日にみたドラマを振り返るに、登場人物みんな自律しているし、一貫しているなと思ったりしている。書いている文章をみるに、わちゃわちゃしてるな。

 夜に母親に電話して、結婚とか同棲についてとか聞いてみた。自分のことや相手のこと、相手の家族のことについて考えなければいけないらしい。それなりに負担らしい。父親の弟の娘がマッチングアプリで出会って男性側の家族は、反対していて、少し大変そうだった話とか聞いた。よく分からないけども、悩める時間がある幸せもあるのかと思った。も少し色々やってみるか。この前、買った内田樹の『困難な結婚』まだ読んでいないな。

 電話して、元カノの方が案外、同棲してから人に相談できなかったりしないのかな、とか、家庭を持つと相談できるようでできないとかないのかな、とか、今カレまた飲みすぎてゲロってたりしないのかな、とか、いらん心配を諸々考えて、誹謗中傷なんかしてるもんじゃないのではないのかと思っていた。

 電話の後、文フリに向けてのミーティング中、あまり聞く気持ちになれず、渋谷の兆楽で食べたチャーハンが胃にあったりしていた。親からもらった小さい「半分、青い」みかんをとにかく貪り食っていた。雨が降っているのに洗濯物を出したままにしている。Twitterをみたら、DMでやり取りしていた人がブロ解していた。このアプリ、人との関係悪くするアプリだなと思っていた。