20221022

 いつもの教会に家族といった。相当まいってるらしく、僕もそれなりにまいっていたため、お参りしたり、話を聞いたりしてきたが、あまりよく分からなかった。以前も転職相談で倫理法人会の人を母親に勧められ、おじさんから気の波動?みたいなのを個室で入れられたり、自己啓発セミナーにも行ったが、あまり分からなかった。まずいが、多分、分かるか分からないかそのとき次第なのかもしれない。

 案外、自分が真っ当であるという落ち着き度合いも人それぞれあるのだろうか。言語化の際に統一的な言葉というものについてより、微細な言葉の運用の方が性に合っているのかもしれない。そういった点において、尹雄大の話の方がシンパシーを覚える。

 その後、リー・ウーファンと鈴木大拙の展示をみに、六本木と外苑前に行こうかと思ったものの、少し精神修行の疲れもあり、臨港パークでビアパークが行われていたため、そこで実家から持ってきた小林秀雄の『モオツァルト・無情という事』でも読もうかと思う。

 いま、桜木町行きのバスに乗りながらOvalのアルバム、DAWNを聴いている。