昨晩は少し多めに書いて消した。朝に成田悠輔と鈴木健のスペースの録画を聴いた。民間と官が手を組むことで生まれる方法について話していた気がする。高校の頃の人が渋谷区の区議会選に立候補していて、ホームページのUIがしっかりしていたりしたのをみて、みにくい市役所のホームページとの違いみたいなのについて考えていたのを思い返した。そんくらいのことで、多分、話している人たち同士にとってはドーキンスの利己的な遺伝子みたいな話と民主制、マルクス、ニーチェなどなどの制度との話が折り重なってたりする。というあたりをつけて考えていた。鈴木健のなめ敵はそういった接点の話についてだったりするのだろうか。
鈴木健のなめ敵は、当時の高校で何故か読んでる人が何人かおり、その何人かはみんなSFCを推薦で受けていた。実際に先輩の中には入学した人がおり、生物学と政策論を交互に研究し、研究者になっている。
それはともかく、ひとまず外に出るか、となった。外に出て、自転車を漕いで写真でも撮ろうと思った。天気もいいため、神宮まで漕いで銀杏並木を眺めたり、馬公園で馬を眺めて、馬にも選挙権があったりすればいいのにな、と思っていた。
ついでに有明まで走ってしまい、海を眺めつつ走っていたらお台場までついていた。途中、橋の辺りでタバコを吸ったりして、外の空気を吸った。
お台場の海沿いを眺めた。みんな自由の女神やお台場のアスレチックを求めて2階のデッキにいるためか、砂浜はぽつぽつと人がいるだけになっている。高校生のカップルが話してたり、子供のベビーカーを夫婦で押してたりしていた。途中で腰を下ろして、藤原新也の『鉄輪』を読んだ。門司港の話が書かれているとだけ覚えている。藤原新也のことを考えると、有吉がいた猿岩石と重なってしまう。カメラを持ってどっか遠くに自分探しする所がそう思えてしまうのか。
日が暮れたときに、近くのコーヒーショップでコーヒーを買って別の本を読んでいた。すると、元気なブルドッグがいて、ブルって牛って意味だよな、とか考えてた。犬になりきれなかった犬でもある。
帰りに何故かクインシー・ジョーンズを聴いていて、アッパーになっていた。豊洲辺りの高層マンション、ブリッジがイキイキとしている。新橋をくぐり、KIRINJIとフリッパーズギターを聴きながら芝公園を通過して、そしたらあっという間に六本木について、テレビ局前のイルミネーションを眺めつつ、24時間やっている行きつけの中華料理店に入った。水餃子が160円で食べることができる。安心した。