20221204

 深田晃司のLOVELIFEをみた。不意に訪れる不可解な疑惑が様々な関係性の破裂とリンクしてしまう危機感みたいなものとか、その兆候みたいなのを描く演出に長けている映画。主人公は結婚したばかりの夫婦で、義理の親が遊びに来る所から映画は始まる。どうやら主人公はバツイチの子持ちらしく、旦那さんには婚約直前まで暮らしていたパートナーがおり、その不倫相手が主人公らしい。そんな事が初めのシーンから察する。義理の母親が入信したばかりのカトリック教、そこのシスターさんもいる。義理の父親が歌うカラオケに微妙な表情の主人公。急な元カノからのラインに動揺する旦那さん。間違って、子供が風呂場で横転し、溺れて死んでしまう。そんな最悪なスタートラインから始まるこの映画は、不安定かつ、セーフティネットになっている結婚という制度も暗示している。子供の葬儀で前の旦那が訪れて不穏な空気が流れるなど、前にいた人との時間やいまいる人の時間を不確定なまま張り付いている。

 ところで、この映画の舞台は団地である。そして、前の旦那を発見したのも団地近くの公園、義理の両親があるのも団地の一室となっている。団地は高度経済成長期に様々な所で出没した建築であり、高畑勲の〈平成ぽんぽこ〉は多摩ニュータウンの開発で追い込まれたたぬきの話であるのが顕著な様に、タワマンと然程変わりなく、雨後の筍みたいに生えた。ただ、タワマンと団地が異なるのは様々な摩擦、ノイズがあるのか、ないのかである。最近ではエレベーターで人と人とが鉢合わせない様にしているタワマン住民がおり、団地の顔をつきあわせるとは真逆といっていい。ゴミ出しもルールなし、声をかけてはいけないルールがあるタワマンもあるとかいう。そこで、人間関係に飽きたら他人と思い、通報するスタンスやブロックする現代病ともいうべき希薄な感情みたいなもんを感じたりする。

 映画に戻せば、主人公とそのパートナーは共に公務員として働いており、主人公は社会福祉関係の仕事をしているらしい。そこで元旦那が生活保護を借りるために役所へ訪れる。韓国籍で手話通話をしているため、主人公がその人の担当をする事になる。

 この前にいた人とつきっきりになって、今の旦那さんと元旦那との関係が続いていく。その中で主人公はどこの時間にも本当は存在していなく、ただ、それを受け入れた上でラストの散歩につながるのが印象深い。信頼関係を結んでいたパートナーに裏切られて、同じ時間に生きていないことに気付かされたりした。

 横浜で見ていたため、映画のある伊勢崎町から歩いて横浜駅まで歩を進め、海辺のマクドナルドで100円コーヒーを飲んだ。