20221207
先週かったユリイカの三宅唱特集。そこで木下千花の論考を読んで気になって、現代ビジネスに掲載された記事「「ホモソーシャル」って最近よく聞くけど、結局どういう意味ですか…?」を読んでいた。
よく、「ホモソだから」と言って相手を遠ざけたりする人もいるが、本当の所、いい言葉の便宜みたいに使われてしまいやすいのは事実としてあるのではないかと思っていたからだ。
セジウィックという人物が「男性同士の関係についてミソジニーとホモフォビアによって成り立っている」と指摘したらしい。ただ、SNSの普及から競争によるホモソの語りにも限界を感じる。もとから限界だったものが露呈したのである。
記事で触れられた「キモ金おっさん」に関連した匿名のはてブロが辛かった。「弱いオッサン」である事を許せないおじさんという存在は、自己嫌悪の様に見えてしまう。果たしてそれで幸せなのだろうか、とも考えてしまう。
一人暮らしのとき、ご飯を作って、少しずつ自信をつけたりしていたとき、幸せってこゆものかと思ってた。
そう考えたとき、三宅唱監督の映画はホモソであるけどもきみ鳥以降、どこが異なる関係性の在り方を提示している。バッキバキのホモソで鑑賞者は疲弊していない、けどもホモソな意味、男女間での三角関係は発生している。
〈参考〉