20221220

 silentというドラマを前から少しずつみていた。たまたま目に入ったTwitterで脚本家の人が炎上しており、脚本家がある番組で、ドラマについて話していたシーンが発端だったらしい。ドラマ上で日本語を使用している国の人しか分からないドラマ、という様な語り口をしており、そのシーンがあるバラエティも覗き、男性のプロデューサーと男性の監督に囲まれているのが変に窮屈な印象を受けた。それはともかく、言語を使用してその言語で考える方法は出自の問題として括れないだろう。

 以前、clubhouse(このアプリの名前が出る事自体懐かしい)で知った人が出ていたポッドキャストを聴く。宇野惟正さんが三宅唱の新作について話すタイミングで、silentというドラマがあるけど、韓国ドラマにハマっていた若い人たちがドラマを見たりしていて、障害者を扱うと視聴率が...というニュアンスで話をしていた。題材の特質によって規定される身振りとは何か考えてしまう。

 映画の場合、ドラマと異なり会話劇を省く方法は比較的しやすいけれど、会話劇メインのドラマは会話を共感しやすい方法で描かなければならない「視聴率」というバイアスがある。そのとき、ドラマは何を描くのだろう。トレンディドラマというものが過去にあり、そのトレンディは機能しなくなっているのかもしれない。エルピスは1話で挫折しているため、後追いでなんとかしよう。

 

例のポッドキャスト

https://open.spotify.com/episode/0T0awtGAqzjtTBXgSUVj5X?si=1xU36x0ATWiUkowLFiXU-A