20221226

 羽田から新千歳へ。ホテルへ向かう道中、日記の更新で少し気が重くなったりしていた。ラーメン屋で味噌ラーメンを食べつつ、Eさんが欲しいと話していたレトルトラーメンの土産をEさんに聞いたりしていた。

 どこでもみれるけど映画をみた。「そばかす」という映画で、三浦透子が演じるそばかすさんという名前の女性が主人公となっている。その人がアセクシャル?らしく、周りが次々と結婚していく中で、親が心配して服を買いに行く口実をつけ、見合いをさせられたりする。祖母は何回か離婚をしており、そばかすさんの妹が旦那さんの不満を話すと、別れた方がと話している。バツイチ同士の両親を持っている私も何故だか、このやり取りを共感したりしていた。

 玉田真也が監督という事もあり、家族でのやり取りが面白い。妹の旦那さんが家族の焼肉会に参加したときに妹が旦那さんの浮気を疑い、揉める。そのとき、三宅弘城演じる父親が立ち上がり、怒り始めるかと思いきや、焼き肉を取る。それをみた祖母が「焼肉か。」という。それでも揉め事が激化して父親が泣く。それで祖母が「ついに肉がつまったか。」と合いの手を入れる。この合いの手は、肉が詰まった訳でもないのに、そう見えてしまうという誤配に面白さがあったりするし、その手前は事実だけども、「食卓で怒りはじめるよくある父親像」のあてつけみたいにみえるが、まったく異なっていた所に落胆している。このやり取りの不一致みたいなものは何か気になった。

 飛行機に乗りながらこの前買った三木那由他さんの本を読んで、すだちかレモンかの章を思い起こしたりした。三木さんの友人が紅茶にレモンの汁を垂らして欲しいと三木さんに話し、三木さんは間違えてすだちを入れてしまい、それに対し、友人が知ってて御礼をしたというエピソード。これは、言葉の誤配みたいなものが関係しているという。それが意味の占有として暴力的に機能してしまう場面もあればユーモアに昇華する場面があり、それについて詳しくは別の日記で書きたいと思ったりしていた。