20221229

 朝に起きて、タモリ徹子の部屋黒柳徹子から「来年はどんな年になりますかね。」と言う質問に対して「新しい戦前」と発言している動画をTverで見た。タモリについてはK.K.という現代アーティストによる<ワラッテイイトモ、>というゼロ年代の作品を思い出す。これはある意味でタモリ批評になっており、全編You Tubeでみれる。90年代にとって80年代は潤いがあったのかもしれない。それはともかく、ビッキをみて抽象彫刻が気になりはじめ、アルテピッツァ美唄に向かうことにした。あまり雪は降っていないだろう、と思って行ったものの豪雪だった。駅の近く、ふつうにメチャ降ってる中で到着してしまう。駅チカの喫茶店に入ってコーヒーを飲みながら、元から人通りの少ない街だったという記事があったため読んだ。炭鉱の街だったらしく、向かう施設はその近くの小学校を改装したらしい。美唄出身の彫刻家、安田侃の個人美術館となっている。車で施設まで向かった。主に屋外彫刻と学校の校舎になっており、体育館も展示施設となっている。背を低くして小学校低学年の身長に合わせ、インスタにあげる写真を撮影した。販売していた安田侃についての本を読んで、大学院から藝大に行き、イタリア留学をしているのを知る。大学は北海道の教育大学出身であることを知らなかった。教室での展示をみた後に体育館の展示をみて、大地の芸術祭でのボルタンスキーと比べてみてしまう。やはり、彫刻よりもボルタンスキーの方が空間をもろ使っており、ひとつのメディウムの限界を知ってしまう。そういう意味では大地の芸術祭は地域系アートの先駆けなのではないのか。美唄は92年開館でまだ芸術祭の1回目(2000年)の開催前夜。とすると札幌国際芸術祭はどういった位置づけなのか気になる。それはともかく、炭鉱と美術の関係でいうと、川俣正がコルマイン・プロジェクトというのを目黒区美術館で昔開催された’文化’資源としての<炭鉱>展で行っており、あれからどうなったのだろう。國盛麻衣佳さんによる『炭鉱と美術』という本もあり、美唄について書かれているがそれも読みたい。ともに戦後について考える材料になるかもしれない、新しい戦前の前に。そんな事を考えながら山を登り、施設の喫茶店でお茶をしてバスを外で待った。吹雪で凍死しそうになりながらも、一緒に待ってた人がノリで来た人らしく、靴がニューバランスで元気だと思う。バスと列車を使って札幌まで戻り、高校の頃の先輩、Mさんに会う。介護施設で働いており、仕事の相談みたいな感じになった。