20220128

 それとなく、国立新美術館のドマーニ展をみにいった。近藤聡乃の漫画が最初に何点かある。ニューヨークに滞在してから住んでしまった話らしい。恋人であるアメリカ人とのやり取りが主な内容となっていて、面白い。印象に残っていたのはその人が日本語の勉強をしていて、近藤さんとやり取りする以外使う必要のないものなのに、何故か習得しているという話だった。そのアメリカ人の恋人はその人を知るために、言葉を習得しているんだよ、と近藤さんに話していたという。言語を使う人によって、言葉の機能が変化する事であったり、言葉の発し方によって変形する話の矛先などを考えてしまった。言葉を使う人、書き手である私も、使用者である。ただ、論文というものは少し異なり、主査と副査がいて、言語が誰にでも読解できるものに変形する。言葉の有り様とはなんだろうと考えたりしていた。厳密に論文というものを書いてみるアカデミックライティングを経験するには、大学院まで行かないといけないが、そうでない場合はどうやって習得するのだろう。求めてないのだろうか。