20220924

 母親と食事をした。ランチにカボチャのスープがたまたま出て、それをみて「朝食、カボチャのスープでしたね。」と父親と何故か店員に聞こえてしまい、店員が申し訳なさそうにしていた。

 横浜の元バイト先に行き、それが馬車道にあるため、展示を見て、図録も購入したのでどこかの喫茶店に入ろうとする。同じ施設のスターバックスに入ろうとするも、天井高のある店のためか賑わいもあいまって落ち着かない。帰ろうとするも、市役所の建物の方が落ち着くと思い、そちらのスターバックスに入った。

 ついでにお茶した後、同じ施設の1000円カットで髪を切りに行く。髪を切ってくれる店員さんが、前の女性のお客さんの髪を切っている。髪を切り終わり、飛び出す様に「スッキリしました」と店員に話して店を後にするのが印象に残った。

 それから、横浜から神楽坂まで向かい、展示をふたつみた。突然の雨とその後の余韻があった。

20220922

 千葉成夫の『現代美術逸脱史』を読んでいる。具体があまり取り上げられにくかった話などがひっかかるも、そこから物象化への道筋がはっきりとあり、もの派に結実している予感にさせられた。針生一郎などを新批評家といい、日本の美術の固有の文脈という視点を欠落させてしまったという視点は頷ける。白川昌生もフォーマリズムを批判した様に。

20220920

 最近、美術館について考えたときに、友達がバーで合気道を教えるイベントを開いていたのを思い出して、静と動だけど成立するのかと思った事が頭によぎる。生の資料と死んだ資料を一緒に展示するときに労働時間が多くなってしまったりすることなど。それから、キュレーターよりもケアワーカーの方が仕事できるとかないのだろうかとも考えるときがある。

20220921

 たまたま見かけた中野信子さんが書いた容姿の良さが女性の働きづらさを助長するという記事を読んでいた。人間の脳はラベリングしてクリアになるもので、どうしても属性によって判断してしまい、そこから個人の能力まで及ばなくなってしまうというものだった。そこで、オードリー・タンを挙げ、組織よりも個人の才能を評価するという社会のあり方を提示していた。その容姿についてモヤモヤしながら「よだかの片思い」を映画館でみにいった。明日、会社の飲み会なのにどうしようかと呆然としてしまう。

20220918

 練馬区立美術館で開催されていたマネについての展覧会を見に行った。マネは国内において収蔵作品が少ないばかりか、紹介のされ方も文字情報からになっている事を知った。国内でマネ信仰が盛んになっていた近代日本画も陳列しており、村山槐多の描いた水彩画は色のトーンが紫色になっていた。本来、マネの絵は印象派の色合いでもある紫と緑と水色が混合した色をあまり用いていなく、黒色とグレートーンの配色をしている。マネの作品をマネを崇拝した人々のイメージで形作られた色合いは、先に紹介された印象派の配色だったりしたのだろうかと思ったりしていた。印象派はマネ以後の配色で主題も少し異なる。それを示唆的に捉えていたのは、福田美蘭による後半に展示された国内のミュージアムショップでマネのグッズがあまり販売していなく、その貴重なマネグッズを描いた絵画だった。