20230724
ある種の親密さや仲間内といったものを肯定する為に「友達」や「呼びかけ」という呼称があるのだとすれば、そこには、オープンエンドなゾーニングが引かれていたりする。友達か友達以外という、それ以外の場面を考えるべき。真っ当に生きようと試みれば、それは「真っ当性」という裏返しの肯定でもある。ドクメンタの記事を読んでからそんなことを考えた。何も全てオープンにしても、それは肯定としか捉えられない。日記を書いている、という自明性について深く考えるためには、高野悦子の日記を読もう。と、読んでいないから読もう、という肯定をしたりしている。
ひとまず、エド・シーランのアルバム「X」を聴いた。エド・シーランといえば、ラップの世界大会で一位になったという情報をCreepy Nutsのラジオで以前聞いた。ラジオではカントリーの奴よ、も少し手加減してくれ、とコメントするラッパーがいた。カントリーといえば、優しいイメージがあるけども、優しさの裏返しだとしたらマスクも変わらないだろう。気候変動は止まらない。