20220910

 ライアン・ガンダー展をみた。最後に展示されていた映像にガンダーが「僕は病院の空間が嫌いなんだ」と話していた。それなのに展示空間は病院みたいな床と白い壁になっており、壁をかじって出てくるネズミはガンダー自身なのかと思ってみていた。映像ではセルフィを撮影する事について語られており、初期のモノクロ写真のセルフィの撮影で腕がとてつもなく伸びていて、それがよかった。

20220909

 会社の手続きを済ませるために会社に向かい、手続きを済ませ、うどん屋へ向かう。うどん屋で啜ってるときに会社の代表や総務の人、営業の人と鉢合わせ「五反田にも前職で支社があり、そこで食べられなかったから食べてます。」と笑顔で話した。実家に戻るため、付近のショッピングモールで眼鏡を買う。眼鏡屋の人がこの前、サングラスを買ったときに対応した人で、なんとなくお互い知ってる雰囲気になる。実家に戻り、そこから焼き鳥屋でご飯を食べ、久々に近所のバーに行った。弁護士の人がおり、前首相のつき人をしており、国葬に呼ばれていると話していた。父親が焼き鳥屋でも話していたが、5時間ご飯も食べられずに会に参加するらしい。映画より長いスペクタクルだ。また1人死者が出て本当の国葬にならない事を祈るばかりだ。それから、住んでる場所について話したら「あそこはいい場所だ。それは土地がいいとかでなく、人がいいんだ。こんな人にならない様にしようとかそういう事を考えたりするのもいいと思う。」と話していた。実家に戻り、ツインピークスを飛ばし見して、クリストファー・ノーランの「メメント」をみている。俺は何してるんだ?ってなった。いっそ、今日会った人を覚えるためにレンズに収めようと思ったりしていた。バーテンから聞いたが、その弁護士は3分ごとに同じセリフを話すという。

20220908

 この前にみた三宅唱監督の「きみの鳥はうたえる」は、2回目にみてようやくこれがポリアモリーの映画なんじゃないかと思えるシーンが最後にあったのを知る。あの追いかけて、また出会って、そこから別の3人の生活が音を立てているのがラストシーンに込められている気がした。あの間合いはなんだったのだろうと考えている。そう回想していたのは随分前のことで、仕事をしていた一週間か二週間も前のことだった。それからどんどん遠ざかって、有給休暇期間を過ごしており、内定手続きがバッティングしない様に次の会社の人事の人とやり取りをしている。どうしたものかと思いつつ、Amazonで注文した机を待っていた。その合間に大学院の教授からもらった本を開き、「興味深いことに、早口で話す人はゆっくりと話す人よりも有能であると見なされることが多い。しかし私は、話すスピードとは、育った文化から習得され、話し手の真意や欠点を隠すものであると考えている。」と書いてある一節を読んだ。どうやら、ペースの速い口調は聞き手の注意力を散漫にさせ、論拠の不備を見つける余裕を与えない、らしい。TwitterなどのSNSは素早く情報を入手できる画期的なメディアであると考える一方で、会話の速さが気になってしまい、ついていけない、疲れる。この「疲れ」について考えたいと思った。常に疲弊しながらも会話が続いている。

20220907

 佐々木友輔の『人間から遠く離れて――ザック・スナイダーと21世紀映画の旅』を読み終わる。ザック・スナイダーについてなのかと思い、初めは読むスピードが遅かったものの、後半からスマホSNSを映画はどう描くのかといったはなしになり、スピードがヒートアップした。書いていく中で対象から内容が飛躍していくのあって、その書き手のブースト感がよかった。それを読者は面白がって読めるのか次第。その後、ジョーダン・ピールの「ノープ」を渋谷でみた。冒頭の猿が暴走して人の顔面を食べてしまうシーンがあるのは知っていた。実際に起きた事件で、顔面を移植した前後の顔は画像でみていた。映画で実際に顔が崩れるシーンを見てしまうのかとハラハラしていたが、そうでもなく安心すべきでないのに安心していた。隣の座席に男性同士が手をつないでみていた。夜には会議があり、リヒターについての話になった。リヒターの表象不可能性はどこまで作為なのか、市場による評価なのか、絵画の崇高はといった話になっていた。全体のメールで川村のケネス・ノーランドは個人的によかったですと転職先である会社のメルアドで誤送してしまった。個人用パソコンを使った新しい職場では誤送がつきもので、慎重になろうと心に決めた。

20220906

 平塚で工藤麻紀子展をみて、作品のタイトルをみながら絵について考えたりする楽しさを味わった。図録でオブリヒストによるインタビューがあり、オブリヒストが「今後のプロジェクトはありますか?」と質問しているのに対して、「プロジェクト...故郷の青森で個展がしたいです。」と書いてあった。読んでいて今後のプロジェクト持って生きてる人いるのかなとか考えていた。そういえば、この前の表現の調査団が行った調査によれば青森県立美術館はこれまで男性作家しか個展を行なっていないらしい。それよりも、インタビューの中で触れていた夢日記をつけている話が印象に残っている。確かに工藤作品の世界観は地面が反転したりしていて、夢っぽい。

20220905

 昼ごろからどこかに行こうかなと思い、初めは代々木上原辺りを行こうと思ったが、自転車が転がって森美術館についていた。飯山さんの展示をみたりした。主にDVについて扱った作品となっており、ビデオと空間を構成した展示となっていた。映像ではDVを受けた側と与える側、専門家の声が流れていた。主に与える側が男性で受ける側が女性である表象について考えたりしていた。与える側である男性が専門家の質問である「馴れ初めはどんな感じだったんですか?」という質問について「まぁ、初めは幸せでしたよ。」とディテールなく大雑把に話しているのが印象的で、その後「あなたに感情はあるの?」といった話になり「まぁ、大学を主席で卒業していて、その能力もあってか、シャットダウンしちゃうんですよね。会社でも上司に揉まれて。」みたいな事が話されていた。童貞の雑誌を作ったとき、それを販売したバーで色んな「男」と話してよく馴れ初めの話になったとき、途端に冷静な口調になっているのをみていたのを思い起こしていた。

20220904

 朝にみたニュースで工学博士が「集中しているとご飯を食べなくなる。」と話して、研究室の床に寝たり、床に落ちていたカップラーメンをみると賞味期限が去年になっていたりしていた。その影響からか、試験の前にドトールコーヒーで栗のパフェしか食べていない。それが昼ごはんになっている。試験終了後、久々に落ち合った友人に話しかけて、帰る事をしていて、バラバラに散りながらも「次あったときは戦場でなっ!」といっている風景が戦国時代にみえた。信長の野望。それにしても、彼らは美術館に赴いたり積極的で、僕は最寄り駅から少し外れた駅で昨日の花瓶に入れる木を購入して家で唐揚げを揚げていた。インスタグラムをみると友達の絵描きが高円寺のギャラリーでシットインについて触れた展示をみている。今日までらしく自転車で15分だったため、夜に自転車を漕いでみに行った。その帰り道に銭湯に寄り、生まれて初めて男性の乳首が綺麗にみえる瞬間があり、その人は全身脱毛をしていた。この前、たまたまみたアメトーークの脱毛特集で、脱毛をした芸人が腹筋ローラーをやっている写真をみて「アントニー・ゴームリーの作品みたいだな。」と思い起こしていた自分を恨んだ。高円寺から家に帰って、30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしいのドラマを見終わったり、みなと商事コインランドリーを見たりして寝ていた。