20231107

 橋迫瑞穂の『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』を読み終わった。著者は、反出生主義特集の論考がきっかけで有名になった部分もあるとあとがきで書いていた。本著は、それから様々な講演を元にあみなおした?著作らしい。90年代の新宗教が立て続けに乱立すると共に、子宮系(歪なフェミニズム?)みたいなものが生成されるその過程と傾向についてライトに書いていた。それと、男性はどうなんだろう?と考えてしまった。産休は取るだけで果たしていいのだろうか。3ヶ月だけで戦力外として外されるのだろうか。外されたその先はどこへ。といった諸々を考えつつ、自己保身すぎる男子はバキバキすぎて辛いと考えてしまった。なんだろこの擬音。

20231103

 「最近、絵とかなくてもいいよな。と思う」

 こんなメモがあった。家でみるホックニーとか「絵をみている」になるのかな。展示室にならべられた絵を絵としてみる経験を美化する人より、退屈そうに展示室につれられた人とかの話の方があったりする。

 午後から文学フリマの同人誌の発送作業があったため、午前中にどこか行くかと思う。虎ノ門ヒルズ駅の建築が面白そうだったので、虎ノ門ヒルズ駅まで向かった。駅に着いてホームの下に改札があるため下のフロアに階段を降りてゆく。下のフロアは空港みたいな作りになっていた。改札口を抜けて、吹き抜けの空間が目にとびこんでくる。

 なにもかも反射される素材によって空間の奥行が無限にひろがっていた。これがレム・コールハースの事務所で働いた建築家による設計なのかと思った。例えば、エスカレーターのつらなりが反射する素材によって一本の線になっている様にみえる。改札を抜けた所の天井高から地下2階から2階くらいまでの4フロア分の天井高に向かう動線は、建築に取り囲まれた人の感覚をにぶらせていた。それと、新車の匂いがした。

 虎ノ門ヒルズから建設途中の麻布台ヒルズに向かう。網目の襞が波打っていた。イメージ画像は度々みていたが、骨組みは人工的な素材かと思っていた。けれどもよくみると石材になっている。へザウィック・スタジオによるこの設計は、アーバン・ゴシックといった所だろうか。そんな造語が頭の中をよぎった。

 珈琲店でお茶をした。隣に女性ふたりが座る。関西弁のふたりで観光地にきたみたいな会話をしていた。渋谷の放送博物館でアナウンサーの体験でもするかとか、世の中ブスかそうじゃないかしかいない。みたいな話をケラケラしており、飲んでいた黒糖珈琲が吹き出しそうになる。

 神谷町からお茶の水まで電車で向かう。向かいがてら最近みたジョン・ウィック:コンセクエンスについて考える。あの映画は建築映画なんじゃないかと。冒頭から新国立美術館が登場し、途中から出てくるフランク・ゲーリーの建築などを大画面のスクリーンでみる。そのスケール感に圧倒されるとは。

20231101

 シンガーソングライターの山崎まさよしがライブ中に突如、歌いたくないと発言し、そのライブはすべてトークライブになった話を聞いた。事務所はお詫びをして払い戻しも受け付けているという。ライブに音がなくなり発話だけになる。そのミニマルな構成は、発言さえもお金を取ってしか話せない話もある割り切りみたいな感じがした。ライブの内容にもよるが歌うと話すの違いみたいなものだったり、色々考えてしまう。考えすぎか。

 T/Sがどこかで書いて勧めていた「月とキャベツ」を夏にみたためか、なにもかも新鮮にみえた。

 環境音やしゃべくりさえもライブであるとするならば、また高度な次元かもしれないが、観客は怒っている人もいるらしい。

 そもそも、トークライブというものはいつからできたのだろう。スタンドアップコメディはいつからなのだろう。座敷はいくらでも用意されている。

20231029

 お昼ごろに芝公園まで出かけた。よく自転車でここまで来ていたためか土地勘がすっかり芽生えている。こだかい山をのぼったり、ベンチに座って次にどこに行こうか考えながら歩を進めた。近場の喫茶店に入り、たまたま隣に40代くらいの女性が2人座った。1人の人はとにかく話す人でもう1人の人は聞くに徹していた。話す人は50代くらいの知り合いがおり、その人に着いて話していた。その人は、ジャニーズにハマり「推しができて恋する私が好きになっていった。あなたも恋をした方がいい。」といっていたらしい。話す人はある日に酔った勢いでマッチングアプリをはじめたという。独身の男性はスルーしてバツイチを検索した所、五つくらい年上の男性とマッチしたらしい。その人とケーキが美味しいお店に出かけて、8時間くらいお酒の店で楽しんだらしい。そこで話す人は「仕事をし続ける『私』という存在が自然体ではないけれど、仕事をし続けない弱さみたいな所は人に見せていいのかな」と男の人に相談したらしい。そしたら「そういう部分もあなたなのだから。そういう部分も含めて僕になんでも話していいよ。」と返したらしく、その場で付き合い始めたらしい。けれども先月、別れたという。どうやら父親みたいに見えてしまったらしい。その上で学んだ所もあり、その部分だけなぜか記憶にない。聞く側の人は生理的には大丈夫だし、とても優しい人なんだけれど身体がうけつけなくて気分が悪くなり、退席したメシの話をしていた。そんな話を聞きながら新書を読み終わり、田町まで向かって、その先の日の出まで歩いた。途中からゆりかもめに乗ってお台場に行った。海岸でコーヒーを飲みながら時間を過ごし、東京テレポート駅まで向かう。道すがらKIRINJIのアルバム「crepuscular」を聴いたら、喫茶店で話す人の話を思い返してしまった。

20231028

 昨日も呑んで公園近くの公衆便所の上に登った記憶がある。たしか、見物に来た青年の肩を借りても登れなかった。

 物件を見るため祖師ヶ谷大蔵に行った。対応した社員が喋るたびに唾が口のまわりに出る人だった。自分と似てると思った。

 祖師ヶ谷大蔵からどこかまで歩いて家に戻る。その道すがらにある駅で途中下車。ラーメン屋でラーメンを食べる。

 ひさびさにジムにも行った。

 かれこれ美術館に行っていないのだけども、美術については考えている。最近では、美術館に行って「美術作品やっぱ分からない」という客層が減ってきていると考えていた。それは、「分からない」と言いにくいというのもあるのでは。雑に語れば、写真を撮って分かった人に昨今いくらでもなれる。となると、分からない人ってどんな人なのだろう。なんとか美術館展というブロックバスター展は定期的に開催されている。そこでも「名品みれてよかったよね」という会話があったとき、「名品見ても分からなかった」と言える人の方が作品について考えていると思う。それに、美術館に行かない人の方が作品についての語りを多く持っていたりとかないのだろうか。写真を撮ってわかった気にいくらでもなれる昨今に。

20231021

 川村記念美術館にでかけた。東京駅からのバスに乗る。バスの中で「のぼる小寺さん」をみた。原作の漫画はエロが入っており受け入れがたいものだったけれども、映画監督によるテイスト故かエロや恋愛中心の学園ドラマではない描き方になっていた。シリアスな音楽が文化祭のシーンで流れるのもなんかよかった。美術館で展示をみる。何回目だから1階のフロアは早くみてしまい企画展示室へ。アルバースの展覧会が開催されていた。教育学の勉強をしていたためか、ブラック・マウンテンカレッジの教育とジョン・デューイの教育思想が合体してみえる。心理的な視点と客観的な視点を腑分けしている構図や選択制にするバウハウスの教育など専門化される美術教育について考える。ギルド。図録はどこかで買えたら買おう。

 佐倉駅まで出ている無料バスに乗る。バスを待っている間、ジャック・タチの「トラフィック」をスマホでみる。カーデザイナーの話なのだが、美学の授業でみせられた記憶がよみがえる。けれどもあのとき、教授はなんて言っていたのか思い出せない。複合可能性について語っていたのだろうか。駅に着いて餃子の王将でラーメンを食べて東京駅まで戻る。丸の内線で国会図書館まで行った。資料を漁り帰宅。

20231027

 仕事で文章を書いたりしているためか繁忙期だなと思う。今週はかれこれ花粉症になり、ジムにも行けず、毎日のようにお酒を呑む不摂生。よくない。今週あったことのひとつに、トランスジェンダー入門読了がある。この前、何人かの飲み会で女性の方から銭湯に、もしそういう人が入ったらどうかと思う、と話を聞いてしまった。僕はそういう話をするのはよくない、というも相手方が怒ってしまい僕は謝った。けれども、そういう謝り方は相手の話を聞かない謝り方だと言われてしまう。そんなこともあり、改めて新書を手にとった。男性学の話であったり様々な視点からジェンダーについてふれている。

 霜降り明星オールナイトニッポンハガキ職人特集を聴きながら帰る。ストイックなハガキ職人の話を聞いて詩人と変わらないのではと思った。詩人と変わらないと思ったのは、言葉の強度について考えるというハガキ職人がいたからだ。

 ドラマはバカリズムの殺意の道程をみたりケンシロウによろしくをみたりしていた。自然な脚本について考えたり、バカリズムが映画学校出身なのを知る。