20220416

 実家から歯医者。それで歯医者の人にこれまで以上に悪いと言われる。講評はもうウンザリだ。

 帰ってきて、この前、ホタテを振る舞ってくれた定食屋の人が勧めてくれた茶割りの店に向かう。そこで、ぐったりしているとき、1人だと寂しいから、カウンターに来なよと話しかけてくる。

 カウンターに座る、そして、雑談。僕は近すぎると仲間に入りづらいですよね、と話している。そしたら、急にサニーデイ・サービスのボーカル、山田孝之みたいな髭とロン毛の人がパートナーと来た。その人は早く、飲み屋で面倒な絡み方する常連のおじさんみたいになって、団地で子供を注意して、子供から嫌がられたいと話していた。ラーメンを僕は注文した。

 そこで、店主からラーメン好きなんですか、と聞かれ、辛いラーメンは食べますと応える、そこから辛い話になる。それで僕はついつい、Mなんですかね、と言ってしまい、隣のその人が、そうです、刺激をあなたは欲しているのです、そう明晰に話しかけてくる。この明晰さに風貌とギャップを感じつつ聞いてしまう。

 それから、店を出てラインを見ると院の頃の教授と会う約束が了承を得る。

 その教授と父親が重なるときがある。多分、ハラスメント気質やネグレクト気質がそうさせているのかもしれない。これは、外側からみたら圧倒的にそうだ。そもそもそうなったとき、美術とかそういった世界に入ったとき、それを内包している。けれども僕はそれに慣れているのかもしれない。オブリヒストもキュレーターは道化師みたいなもので、たまに作家に叩かれたり、そうではない扱いされたりするんだと話していた。

 そういったいじられキャラ、そこからの逸脱。

 僕はどう争えばいいのだろう。けれども、慣れている人はうまく買わせてその世界に溶け込めている。僕はどちらの世界にもいない。そのどちらの世界にもいない希望はあるのだろうか。果たしてないのだろうか。皆無だとしたらどう転がるのだろう。転がってジタバタした先の景色その景色に頷きながらよだかの星を眺めるのだろうか。墜落。昇天。前後左右の認識が散乱していく。この散った空間で、ただ呼吸をしながら、真っ白な壁を見つめていたら鬱とか言われるのだろうか。

 いや、眺めている。風景を。ただ、そこに何があるのか見たいのだ。それを信じたい。