20230713
展覧会の補助的なものに関わっている。出展作家の調整などのメールを書いており、ccに上司が入っているため、随時、確認されながらもメールを送った。ニュアンスが異なるメールを書いてしまい、サポートが入った。業務が終わった後、いつものように文章を書くためにドトールに入店した。隣の座席に営業の終わりの人らしい人がいる。おじさんと腕時計をしたシャツの年齢が近い風貌をした人が着席している。よくみると顧客のメールを先輩が手直ししながらコメントしていた。メールってニュアンス気づくの難しいけれど勉強になるなと思った。
前職の先輩と何故か深夜に歩いたりしている。ryucellの話より先に霜降り明星の粗品が離婚していた話をしたら、「ryucellの方じゃないのね」みたいな会話になる。ryucellで思い出したのは、何故か映画「ホエール」だった。ホエールは、子供ができた後に離婚し、ゲイとして生きる人物の話である。映画をみた後、ひろゆきの映画批評をザッピングしているyoutuberの人が「共感できなかった」と言っていた。何故なら「子供がいるのに離婚をしたクソ親父だからだ」と話している。これはある種、性別を固定化した捉え方と共に、「子持ちの男性」という固定観念から来る「ふつうな家庭像」だとしたらどうなのだろう。排他性は男性性という固定観念から発生するものなのだろうか。とモヤモヤして一日が終わった。