20220324

 昨日、ある施設長の訃報届がメールで来ていた。とてもお世話になっていた方でもあったため、言葉が出なかった。学部1年生の頃、そこで行われていた研究会にギャラリーの人から勧められ、足を運んだのが事の始まりで、そこから色んな人と関われた。特にこの業界の人たちは冷笑が得意な気もする。そのためか人と会話をしなかったり、距離を取って、ほとんど会話がなくなってしまう。けれどもこの人は場を作り上げる事を通して、交流を広げ、その人が気難しく、ハラスメントも横行していた現場ではあったものの、多くの仕事をこなしていた人物であったため、とにかくご冥福をお祈りする。教授も追悼していた。生前、施設長の人はあの教授の所に行くな、と僕を引き止めていたけれども、僕はその大学院に入学した。


 昨晩はそれについての電話をして、ことばの学校にオンラインで参加した。その後、岸田くんと話した。ゲルハルト・リヒターに関心があるみたいだ。ドイツの作家でもあり、僕自身、卒論でドイツに行った日本人作家について書いていたため、同郷のリヒターはよく知っていた。今年は回顧展も開催されるらしい。けれども、ボイスは2人展でリヒターは回顧展なんだなとも思ったり、同じ資本主義リアリズムのジグマー・ポルケは生前に上野で回顧展やったきりまだないなと思ったりしていた。個人的にはリヒターよりもポルケが好きでもある。ポルケについての研究計画書を大学院で入試のときに提出して、ボロクソに言われた記憶がある。あと、最近ハラスメントをした美術批評家、林道郎がポルケときたざわのりあきさんと対談したBTの記事があり、ポルケのはぐらかしにふたりが翻弄されているのが面白い。

 リヒターは大学の頃に図書館で社会人学生の年配の女性がリヒターの画集を漁っていた記憶がある。それと映画。学部の頃、卒論で書いた作家がリヒターについてよく知っており、とにかく色男で当時付き合っていた彼女を脱がして階段に降りる風景を写真に撮影し、作品にしたものがあるというのを聞いた。いま、それやったらどうなのだろうとも考えたりしていた。多分、リヒターにとってはデュシャンの階段を下りる裸婦のオマージュなのだろうけども。

 それから、造形作家、小田原のどかさんをきっかけに彫刻史に岸田くんは関心があるらしく、高村光雲高村光太郎北村西望、60年代から80年代の前衛、船越桂の流れをおさらいした。