20220607

 知り合いからFacebookの友達申請が来ていた。開けてみるとパン屋になっていた。小学生の頃以来会っていない。苗字が変わっているにも関わらず知っているという所がいまっぽかった。

 昨晩、リヒター展が開催されるという予告の中にビルケナウという作品が混ざっており、画家の名前と作品のイントネーションがマッチョな人しか発音しにくいのではないのかとも思ったりしていた。それから、寝る前に低い声で「ビルケ、NOW」といってしまったり、「RE, ヒター」と発音していた。発声練習。ゲルハルト・リヒター。序章。簡潔にまとめて。もう少し作品を上手に読むと、とてもすばらしい鑑賞教育になり、立派な生徒が育ちます。作品は破壊しないようにしましょう。
 のばばっくす、もNOVAVAXと英語表記すると違った意味に聞こえるな。
 毎回、思うときもあるが一日のスケールで長文を書いてしまうときがあり、単に人と話す機会はあれど、ほぼ一緒の感覚でやり取りしていない残像みたいなのが残っていて。
 小学生の頃からの友達も同棲破棄して別々に住んでいる。訳を聞くと、疲れたらしい。事務やってる人とhanbaraも付き合ったほうがいいよといっていた。そうなのか...でも気を遣う感覚がカスなみなので無理かなともう僕は半分、他人の言う事が絶対と思い、半ば諦めている。
 めんどくさい、気味が悪い、もうどうでもいいと思ってもいい物事に集中的な眼差しを向けるときが大にしてあり、その注視をわたしが私であるといった感覚と一体になっている。
 同期の人に久々に会ったが声をかけてくれないため、中途で入社した大学の頃からの友人があれ、あの人とhanbara仲悪いよね..なんで?
 ゲルハルト・リヒター展やるからソニック・ユースのリヒタージャケを聴いていた。不穏だけれども、まとまっていた。会社に戻ると何も会話がない。
 学校の卒業課題で私は便所の落書き書きますという人もいたな。その人は僕のこと例のあだ名でいってたな。
 色んな人にさん付けでいってしまうタイミングがありそのとき腐れ縁がなんで?って聞いてきて、義務教育課程ではみんなさん付けだし、これから呼び捨てとかで相手にいったらハラスメントとか通報されっからさぁ。
 未だに夢で金縛りに合う。死にたいと思うときがそのとき急に訪れる。
 仕事が全く手につかない。仕事がない。けれども文章を書く時間がある。
 刻々と何してるんだろうとなったり、蛍光灯の白さがミニマル・アートみたいだなと変な人になっている志村けんの変なおじさんというコントは、みんなが一斉に変なおじさんを手を叩いてテンポに合わせて披露するため、「変」を共有している。
 ツイッターで初めて人身事故にあって、車掌さんが泣いているというツイートにレスでおれの親父、人身事故後でも処理して焼肉くってるよ、というのを見かけた。アメリカンサイコもそうだけれども、死と生の分離みたいなものが「仕事」というフェーズによって曖昧になっていったりするのかなとか、怖いことを考えて少しゾッとしてしまった。
 あるフッテージに達したときの景色だったり眺めだったりする所もあるのかもしれないが。このフッテージに達した眺めをみたいとはあまり思わない。思ったりして犯罪心理学など考えたりするのだろうか。『人は何故殺してはいけないのか』という小泉さんによる本があり、それも犯罪心理学について書いている。
 それはともかく、夜がくる。夜は夜で課題の原稿を一日、700文字と決めて書き進めようじゃないか。
 いや、ノルマは1400文字だ。それくらい書こう。もう書くしかない...までも消極的でもなくて。これが本来の姿な気がしてきた。積極的でもないし、書くこと。ただそれのみといった。誹謗中傷であるとしたらとか、誰かを傷つけているのではとか、傷口もどこにあるのか判別つかないのだとしたら、書く。