20220606

 以前、ある人に飲み屋でhanbaraさんの元カノさん、メンヘラっていうんですよ、と忠告を受けた。その後、インスタグラムのストーリーをみたら、ストーリーをみる奴はみんなストーカーだという投稿をみかけて、結局、人は自分の幸福を手に入れるために様々な人を傷つけて無知な上に張り合いがあると感じた記憶がある。

 たまたま、昼ごはんに中華で隣の席のお兄さんが会社の先輩か同僚を連れてご飯をしているというシチュエーションをみかける。そこでは彼女に訳あってカバン買ったらボーナス吹っ飛んだんだよね、と話している。それをまた聞き、僕はそこまでなかったけれど本当はもっとひどかったりするのかなと思っていた。
 僕は基本、女性が男性が、といった線引きについては怪しい所もあるが、元カノがあまりにも話して相談するという事がなく、自分で抱えて崩れるタイプであったため....いや、どうなんだろうな。
 みんな傷ついている事を信じて傷ついています!と相手に相談したりするのって、独りよがりすぎないか?そもそもストーカーだ、という投稿を流す方が健康的にみえる。そして通報。なので早めに通報した方がいい。
 それにしても警察も大変だよなと思ったりする。
 僕自身はやはり、通報されるべき人間な気がしてきた。
 職場の異動前の人で、その人はヘテロ男性なのだが、女性と称される属性に当てはまる人にストーキングをされ警察にストーカーが来ていると話しても信じてもらえそうになかった。どうやらよくストーキングの常習犯として知られている人だった。このまま、1人でこうなっていたらストーキングの常習犯住所不定無職になりそう...
 全てのはじまりに、あなたがいる。
 と書いてみたものの、犯罪者である、と自分を「」に入れて語るという手立てでもなく(手立てを作る必要もない)、性被害を受けたと言いたいのでもない。Twitterのトレンドが男性の性被害でもあったが、この場合、男の子の性被害でもある。けれども、性被害を性被害と言ってしまったり、被害を受けたと仮定して本当の被害はどこにあるのだろう。
 実際もって僕は何故傷つきっぱなしで脆いのかという問いを立てたい。
 元カノの後に付き合った人に元カノのことを話しすぎてあなたは傷ついている、と言われたのがきっかけでもあるのだけども、その人からという訳でもなく、人を好きになってもいけないのかな...あまり好きになる行為自体が不幸になりそうだけども極端に物事を押し測りすぎたりするのだろうか...
 梅雨が始まる。
 
 『なぜ心はこんなに脆いのか: 不安や抑うつ進化心理学』というランドルフ・M・ネシーの本があり、それを読みたいと思った。昨日、『エコラリアス』を下北沢ミカン近くの図書館で借りたのも、精神病、分裂病の言語に関心があったからでもある。少し、おかしい。何がおかしいのだろうか。それをもう少し文献を読んで編むことで問い直していきたい。