20221118

 仕事が午前で終わり、吉祥寺駅に着いて、公園近くの喫茶店に入る。わすれな草が花瓶に入っていた。この前の続きの本でもあるビフォの『プレカリアートの詩』を読むかと思って、カバンから本を取り出した。いま読んでるところでは、『アテンション・エコノミー』という本について触れており、注意力のための時間がないという指摘をしている。「職場においてアテンションのための時間はない。あまりに莫大な情報量を処理するよう強いられるため、わたしたちの身体的精神は完全に消耗している。そしてさらには愛情、会話、性愛関係のための時間がなくなったのである。空間的な種類のアテンション、つまり自分自身への、他者の身体への配慮のための時間がない。だからますます時間を失ってるように感じ、加速しなければならないと考えてしまう。しかし同時にこの加速が生、歓び、理解の喪失をもたらしていることをも感じとるのである。」と書かれている。ビフォはパニック都市というエッセイで「都市には広告が溢れリビドー的注意力を刺激して人々のコミュニケーションは「出会い」の約束を増幅するがこの約束が満たされることはない。」とも書いているという。向かいで女性同士が花を生けながら、同棲を始めた友人や出産の話をしている。なんでこの本読んでこなこと考えているのだろう。かゆい。ヴィリリオもそうだけど、加速の話になると男性性的なある種の悲壮感がある。小説でも読んで明るくなろうと思ってカバンを漁ったら阿部和重の『アメリカの夜』が出てきた。も少し違うの読もうと思い、Kindleスマホから開いた。向こう側で「考えてもねー」「そうそう考えても」という会話が聞こえる。