20230413

 退勤後、移民の入管法法律改定に反対するデモに行ってきた。コロナ後のデモは、初めてだったかもしれない。コロナ前は、表現の不自由についてのデモに美大でユニオンを組織した友人とかけつけた。今回は、今月の下旬辺りから、その人と武蔵野プレイスで展覧会をする人にデモで会えた。デモを知ったのは、Instagramのストーリーでその人がシェアをしていたためだ。そして、前日に日系ブラジル人のニュースをたまたまFacebookの広告動画で見てしまったこともあった。その動画では、食事の制限をされてること、寮が掘建小屋みたいなこと、安月給のためコンビニでビールを買って河原で飲んだら会社をクビにされたことなどが紹介されていた。大人のイジメでもある内容からは、この国が抱える劣悪な空気を意識させた。そのとき、たまたま見かけたストーリーで行動に起こせたのは、SNSのおかげだと思う。デモには、行進がなかったものの、一人ひとりが国会議事堂に向けて話しかけていた。

  帰りに、友人と会話しながら虎ノ門まで歩いた。友人は、今日みた全盲の白鳥さんが美術館で絵を見に行く映画について話していた。その映画は、全盲の白鳥さんがいろんな美術館に行く映画らしく、挑戦的な白鳥さんに友人は思えたらしい。そのとき、私は水戸芸術館内藤礼の個展があったとき、白鳥さんのワークショップがあり、それに参加した話をしたりした。白鳥さんは、目が見える人にも見えない内藤礼の作品をどう見るのか少し気になっていたからだった。白鳥さんは、輪郭をなぞるように内藤礼の作品を鑑賞していたため、私は作品の鑑賞について、ふつふつと、様々な事柄を考えさせられていた。そんな話を友達にしたり、SNSの使い方の話をしたりしていた。

 虎ノ門について、焼き鳥屋に入った。スーツの人たちがごった返しながら、飲食を楽しんでいる様子を見て、コロナとか吹き飛んだのかもな、と思っていた。その中で、ご飯をすぐに食べ終え、話ばかりで1時間くらいいてしまった。友人は弱者男性について、最近考えているらしく、それについての話を聞いた。男性も弱い、という語りがマウントになっているという。確かに、弱いとか、誰が悪いのか、という会話の中に高低差がある様に、どちらかの違いについて述べる方法と感じる。そうではない方法で、友人は弱さについて話す方法を模索しているらしい。そこで、A24のミッドナインティーズの話になったりした。私も会話の前にみており、兄弟喧嘩のシーンなどから男性性について考えさせられる映画だ。それについて、たまたま友人は会話をする機会があったらしい、そのときの話を聞いて、映画を共有する方法は、他のメディアよりも共有範囲が広いのではないのか、と思ったりしていた。それから、ごった返している中で何も飲まずに会話だけ続ける方法もひとつの在り方だと感じた。