20211001

台風がどうやらやってきているみたいだ。

台風が温帯低気圧になる前の方が風強いためか少し楽しい気分がするのは私だけだろうか。

小学生の頃は台風が来るこの月でも短パンTシャツで外に出て、風に当たりながら心配されていた記憶がよみがえる。

そういった心配をかけているという事よりも、心配する側にまわった年齢になってもいまだに心配かける様な気分を味わいたいと無意識に思っている。

そういった事を思いながら、夜中に文章を書いている。ブログというものに慣れていない。ワープロに慣れていない。ワープロよりも手書きで文章を書いたりしていたからなのか。こういう文体は手書きで書いていた気がする。

中学生の頃に毎日こういうのを書けと言われ続けた。教員に言われ、書いては教員に提出させられるという謎の文化圏で育ったためか、常に自分の文章が誰かにみられてもいい体裁を無意識に働きかけているのかもしれない。

それよりも今日は折りたたみ傘と防水スプレーを書けていないスニーカーで会社に出勤した。職場の先輩が「靴。大丈夫?」と尋ねてきた。靴がびしょ濡れになっていた。「あえて、スプレーかけてないやつ履いて行きました。」と言った。ニューバランスの頭文字である「N」だけがやけに光っていた。色が変化しても「N」だけ妙にギラついている。「これが資本か」と不意に思ったりしていた。

会社から家に帰ってちゃんちゃん焼きを作ろうかスーパーで迷った。今月はこれだけの金額でなんとか生活すると私は頭の中で考えていたからなのかもしれない。「これだけの金額」と自分で設定しながら節制を働きかける事で、次の不安から逃れることができるという重い設定をしてみた。

結局、帆立なしの鮭と家にあるものでちゃんちゃん焼きを作った。ちゃんちゃん焼きは北海道の郷土料理らしい。そんなことを気にせず、実家の家庭料理を作っている事に「刷り込み教育」というものを感じざるおえなかった。いまだに縁もゆかりもないのに「北海道」が本籍地として付いて回る。