まえから予定を立てていた。春から大学院に入る人と展覧会にみに行った。
そのためか、予約も展示で取っていた。
松濤にある美術館で行われていた白井晟一の展示をみに行った。
私は汐留で行われていた白井展を図録だけ読んでおり、その図録を当時、高校生だった音大に行った友達と読んでいた。
白井って建築家がいてさ。その人。凄いらしい。
そういうことしか分からなかった。そのため、初期の交流についてあまり知り得ることなく、豆腐のような建物を建造した人という認識に落ちていた。
松濤で展示された展覧会では、白井がどの様な人と関わりを持ち、ドイツで何を得て、どういった知識と経験を得ていったのかという交流関係も丁寧に拾い上げていた。
そのため、汐留で建物を紹介する展覧会とは異なり、生々しさが伝わった。
日記も展示されており、そこには哲学書が読めない。学校に耐えられない。といった話も語られていた。
日ごとに一節で語られる日記もいいと思えていた。
それから、ビールが飲める店に行き、ビールを飲みながら感想を語り、そこから公園通りにあるギャラリーで展示をみて、シーシャ屋で話をした。
大学院にいたときに同期だった人についてよく知っていたため、シーシャ屋でその人について聞いた。その人とその人の友人と話を聞いた人。3人で飲んだという話だった。朝まで個人宅で飲んだという話だった気がする。そこで、その人にその人の友人が酔いが回り過ぎて鬱に効く薬を渡したといった話だった。
その人は学校で教員として働いており、話を聞いた人曰く、大学院とは少し変わった。そう話していた。大学院にいた頃はそんなに僕に謝らなかった。という所が大学院にいた頃と教員で働いていたときの違いだという。
その人の話を聞いて。私も最近、鬱に効く薬をある人に勧められた。そういう話をした。
少し、シーシャが効いてきた。口から吐く。鼻から吐く。口にお茶を入れる。口にドクターペッパーを入れる。
吐いて入れる。吐く。入れる。吐く。入れる。入れる。それを耐えず繰り返して会話を進めていった。
そのためか、酔いが回り。途中で吸えなくなっていた。
話をしていた人が話をやめ、店を出た。少し歩こうと話た。
歩きながらテレビ局を通り、奥側の道に行き、店を何軒か横目にみて、サイゼリアにたどり着いた。
ゼミでの話も聞いた。ゼミで最近、あまり会話が盛り上がらず、教授の勢いもあるためか、話が進まないといった話であった。
隣で話をしている人が彼氏が中々、聞いてくれないという話に対して、外山滋比古の思考の整理学を勧めていた。それしか覚えていない。
それから、外に出て、話をしていた人のお金が尽きたため、1階のコンビニでピースを買っていた。
吸いますか。そう誘われるがままに外の店の裏に行った。
その人の親が薬を所持していて色々あったことも思い出したりしながら私はピースを吸った。