20211106

結局、2時まで話してしまった。正確には何人かと話た後にツイッターを交換した人と電話して2時になった。その人は映画について詳しいという印象がある。話の共有のしやすい場所とそうでない場所について考えさせられた。

これはこの前も高校の頃からの友人と話していて考えた。もし恋愛バラエティに出演してしまった場合、テラスハウスに出たいけれどもあいのりだと思う。テラスハウスに出演している人たちの空気の読み方ができないといった話だった気がする。

2時までに話していた人とはそれとはまた異なり、話をし過ぎてしまう人同士の会話と話をし過ぎてしまわないように言い淀んでしまう人。話をし過ぎてしまわないように言い淀んでいる人に合わせたいけれども話をし過ぎてしまう。加減や沈黙、その距離の測り方。(本来だったら距離を測るという言い方よりも一拍、置いて話すという言い方の方が近いかもしれない)といった話の仕方だった記憶がある。それは昨日の文章とも近い気がした。

朝に起きて、相変わらず冷凍していたご飯を冷蔵庫から引き出してはチンをしての茶漬けを食べている。昨日の日記を書いているときに、ブログの書き方についての広告が目立って出てくるようになった。そんなに悪い書き方しているのかと思った。

文章を書いては13時に人と会う約束があったため、渋谷に向かう。ついでに実家に帰って北海道ビールを取りに行くため、リュックで電車に飛び乗った。パソコンも入っており、なにやら重い。けれどそれでもいいのかと思った。

宮下パークについてはぶらついて、オープンカフェのような出で立ちの焼き鳥屋に入った。オープンカフェのような佇まいに飲み屋の客が入る。そして、その店がある場所はホテルの向かいにあり、昼に飲みながら結婚式を挙げた二人を飲んでいる人たちが眺めるという変わった状況に出くわした。

出席している人たちが同じ鞄を持っており、それについて当てたり、その人と結婚式に参加してどんな感じだったのか聞いたりした。因みに私の場合、結婚式は親戚が北海道で挙げた挙式しかなく、友人からの誘いがない。多分、今後もないと思う。

その後、別れては外苑前に行き、展覧会をみた。小学生の頃、地元が川崎であったためかその作家が太郎賞を受賞してからみている。そのときは自身の裸を絵に描いた作品を扇風機やベットといった個室を設えた空間に構成していた。初めて現代美術館に行ってみた作品だった気がする。

今回の展示もそのとき展示された作品が点在しており、空間の壁面が色鮮やかであるためか以前とはまた違った見方ができた。3階の陶器群との関係もあったからなのかもしれないが色彩や配色されたものとの関係について目がいった。

バスで来た家族の子供が肖像画について「少しイケメンに描き過ぎている」と言っていたのが聞こえた。自分もこれらの作品をその子と同じくらいの年齢で見ていたけれども、どうやってみていたのか記憶がない。ただ、展示室から人の部屋に入ってしまった感覚が抜けなかった記憶だけ残っている。