20211201

 雨が止んだ。生ぬるい空気が外を徘徊している。原稿の提出前で情緒不安定になっている。いま書いているこの文章を出したら多分、モダニズムの研究をしている人に刺される気がしてならない。どうしようと思いつつ「おじさん構文」みたいな文章になっている。口語の使い方が最近分からない。多分、あまりこの文体に馴染めないのは人柄だったりするのだろうか。


 この前、会社の人が「俺は男に厳しい」という言葉を小耳にはさんだ。どこかで「男」「女」という属性を使って言葉を使っている人や言葉を使ってしまった後味に拒絶反応を感じている。これは、身体的にも心理的にも合致している人間が存在しないのではないのかという考え方に依拠している。


 元教授に言われた事があるのだが、「君は社会的な活動に関心がありフォーマリズムの言説などの受容を試みた教授陣がいる大学に何で通ったんだ。」と問い詰められたことがある。確かに前者の方に関心が向いていたりするのかもしれないが大学受験と共にこれといって何も考えずに入ってしまったというのがある。ただ、高校の頃から中原祐介と岡崎乾二郎の本を読んでおり、科学的な物事との接点に関心もあった。けれども入学してから違うのかもしれないと思い、大学院は別の所にした。


 というよりも、そもそも高校の頃から文章を書く中で頭の整理をしていたというのがあり、高校の教員も全員修士号は持っていたためか周りの影響故に制作よりも書く方になった。元々、早稲田の建築を目指していた時期もあり、数理もかじっていた。けれども、先輩が苦労しているのをみて書く方にいったのかもしれない。それもそのはず、都内から数時間もかかる片田舎の高校だ。そこから予備校通いというのも無理難題であり、予備校も通わず本ばかり読んでいた。そういうこともあってか中原祐介と岡崎乾二郎は読んでいた。


 そんな私がそういった言説について触れた文章を書いている事に、少し乖離を感じている。ただ、あの力強い評価基準はなんなのかいつも考えているところがあり、50年代から60年代の間に勃興した「アメリカの」現代美術といった印象がある。いま、この「」を付けているというのは、90年代以降のカルチュアルスタディーズやサイードのポストコロニアリズムなどの言説が東洋圏内から出てきたからだろう。このローカルとしての美術が世界に普及する手立てをどう作り出したのかは気になっている。そうしたとき、西欧圏の一点透視図法の解体として平面的な絵画という考え方もできるのだろうか。とても雑にいってしまっているが。


 掲載されるのは商業よりの媒体であり、そこから徹底的に離れていった批評家について書くというのもナンセンスな気がする。よく美術を知らない人のための美術書みたいな本があるがそれを手に取る読者について考えながら文章を書いたりする人が気になった。確かに元々教授もそういった文章を美術の書籍に寄せており、そのときも解説書としての文体であった。そのライティングも必要だったりする。いや。早すぎるのか。どうなのだろう。これを書いたら今後、書く仕事がパタリと来なくなったりするかもしれない。


 学部のときに思ったのは、確かのこの研究者のこの文章について知ったほうがいいなど大量の専門書を持ち歩いて読んでいたりしたけれど。その中で書き手の意識や考え方といった所を構築していく手立てになるのかと思ったりした。もちろん書いていくときには先行研究があり、その研究の上に論を立てていくという話ではある。しかし、その上で問題提起などをしていくというハードルはこれまで読んできたセンス(知識)だったりしないのか。だめだ、論理が飛躍したり旋回している。落ち着くしかないけれど。どうすればいいのか。